イベント報告

2015/07/03

翻訳フォーラム・シンポジウム2015「翻訳の話をしよう」


日時:2015年5月9日(土)
開催場所:お茶の水女子大学
報告者:久松紀子
 
「翻訳フォーラム」は、プロ翻訳者を中心とした翻訳関係者がコミュニケーションを通じて成長をめざす、相互研鑽や互助を主眼とした場。不定期に「シンポジウム」を開催しており、本年は5月9日(土)に行われた。第1・2部は深井裕美子氏による「訳語の選び方~辞書とコーパスを最大限に活用する方法(再)」、第3部は高橋さきの、井口耕二両氏による「英語と日本語のはざまで~Sakino vs. Buckeyeバトルトーク」で構成された。そしてシンポジウムの最後を彩る第4部が、昨年に引き続き「翻訳」作業そのものを扱う同フォーラム独特のワークショップであった。ここにその一部を再現する。


第4部 フォーラム式翻訳ワークショップ

翻訳ってどうやってやるの?

原文から訳文へ。翻訳とはどのようなプロセスを経て行うのか。
原文の何に着目し、どこから何に手をつけて、どういう順番で物を読み取り、何をどうやって訳していくのか。
翻訳そのものと言える命題を掘り下げ、特に「原文の読み取り方」を突き詰めてディスカッションするワークショップ。原文をシャープに読むために必要な作業とは何か。ここでその具体的な回答が得られる。
 

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井口耕二
高橋さきの
深井裕美子(以上、翻訳フォーラム・シンポジウム幹事)
井口富美子
石崎智子
佐復純子
下休場美奈
久松紀子
舟津由美子
星野靖子
矢能千秋(以上、参加者)

 


 

「フォーラム式翻訳ワークショップ」開催要領

課題文(事前課題):”Reading It Wrong”  by Tim Parks(以下のリンクよりご覧ください)
http://www.nybooks.com/blogs/nyrblog/2013/may/09/misreading/
全11段落につき、各段落の内容を一行でまとめる「一行まとめ」、および第1段落と第11段落(最初と最後)の「訳文」という2つの課題を、幹事および参加者全員が事前に提出(以下のリンクよりダウンロードし、「シンポジウム2015資料7第4部-4_課題訳文.docx」「シンポジウム2015資料8第4部-6_一行まとめ.docx」をご覧ください)。
https://drive.google.com/file/d/0B4T_0Q5drpegS1JCenVPTWZiRlU/view
それに基づき当日はディスカッションを行った。


準備7割(訳す前にやっておくこと)

原文は「誰に向けて書かれた文章」で「どういう風に使われる文章」なのか。

高橋:翻訳で一番気をつけなければならないことは、その文章がどういう風に使われるかという部分がひとつ。それから、原文が誰に向かって書かれたものか、というのがもうひとつなんだと思います。これをどう確認するかっていうことが、いつも皆さんが実際に苦労なさるところだと思います。私たちも同じです。今日はここの部分、つまり作者が誰なのかということと、この文章はどこに載ったんだ、っていうことを予めまとめたものを発表していただきます。

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参加者のひとりが「作者について調べたこと」を発表したスライドより

 
井口富美子:本日の題材のReading it Wrongという記事を書いたTim Parksは、1954年イギリスで生まれて現在60歳。ミラノの大学で教鞭を取ってイタリア語から英語への翻訳を教えていらっしゃる。読書論も書いておられまして、The New York Review of Booksというのにずっとエッセイ2を連載されている。今回の題材はそこに入っています。The New York Review of Booksの読者層というのは、欧米文学の素養がある読書好きな人で、子どものときから海外文学の翻訳物も含めて読んでいる。そういう方々です。
 
深井:このように、著者、時代、読者層、目的、媒体ということを下調べしたうえで訳しはじめないといけないよ、というのは私が普段あちこちで話したり書いたり「(翻訳という全工程を10割とした中での)準備7割」という言い方をしている部分です。何となく日本語にしておいて後から直そうというのは破たんが起きやすい。先にそうやって目的、ターゲット、読者、筆者、時代、媒体について押さえたうえで訳し始めることが最終的には得策ですよ、ということを普段言っています。

足りない作業は何?

高橋:上がってきた皆さんの訳文を見た結果、共通して「これが足りないのではないか」という作業を3つピックアップしました。課題文の最初と最後の段落が訳出箇所だったので、原文を見ながら挙げていきます。

ポイント1:代名詞に着目
 

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 代名詞がたくさん出てきます。特徴的なのが、緑色を引いたmyとI、最初に出てきます。それ以外は基本的に三人称、黄色の部分ですね。で、ずーっといきまして、最後にまた緑を引いたyouとyourself。最初のところはmyとかI、自分のことで、最後はyouとかyourselfになっている。こういう代名詞の使い方は1つの着眼点なんだろうな。と。論文だったら、こういうかたちでのmyとかyourselfはあんまり出てこない、だからこれはエッセイなんじゃないのかなぁ、と考える。書籍を下敷きにして書かれたエッセイですが、ここでは、書き手である「自分」が読み手に見えるようなかたちになっている。だったら、そこを私たちは見ておかなければと思いました。

ポイント2:冒頭からsomething?

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次の着眼点はsome。somethingとかたくさん出てきます。論文だったらsomethingは出てきにくいですが、エッセイですからね。How far is language really able to communicate something newで、How far is language really able to communicateまでは客観的に書かれている。somethingに来た途端に「あれ?誰にとってのsomething newなんだろう。なんのことを言ってるんだろう」って、くらくらっと読み手の眼が泳ぐところなんだと思います。 

そういうときには英英辞典、それも初学者向けのものの出番です。Cobuildを引いてみると、“You use something to refer to a thing, situation, event, or idea, without saying exactly what it is”っていう風に使うことがわかる。このニュアンスは出したいですよね。訳し方としては、必ずしも「何か」というかたちにしなくてもいいんだと思います。でも、ここで「あれれ?」ってなる。これより前の部分までわりかし落ち着いて読めていたのに、ここで戸惑っているという印がsomethingなんです。そこに注目できるといいなと思いました。

ポイント3:言い換え、言い直し表現をカラフルに訳す

高橋:3つ目の着眼点に行きます。これはレトリックを非常に厳格に守っている文章ですが、ぱっと見て気がつかなくてはいけないのは「言い直しが異様に多い」ことですね。

 

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最初、something newを言い直してsomething that runs contrary to my expectationsとしている。これを文法の「同格」だと気づくところで終わらせず、「何を伝えたいのか」と考えるんです。するとmyがあり、「自分」が前に出ていることがわかる。こうやって2番目のsomethingを詳しく言おうという書き手の意気込みや説明戦略が見えて訳すのと、そうでなくて訳すのとでは大きな差がついてしまいます。
 
下に行って、They are used, of course, to the process of passing from not understanding a foreign text to understanding it, 生徒たちはこういうことに慣れてるんだよ、わかんないことがわかるようになることにね、と。その後、that moment when a seemingly meaningless drift of words suddenly falls into place. これ、翻訳者である私たちはすごく「あーーーー(わかる!!)」っていうところのはず。前の部分を詳しく言い換えているわけじゃないですか。ここ。「ああああああー!!」っていう気持ちをそのままぶつけていいところだな、という判断がつくのと、単調に反復して「ああ、2回言ってますね」で終わらせるっていうのはやっぱり違う。2番目のほうが軽くなったりしたら、全然伝わらない文章になっちゃう。こういう言い換えのところで、2番目をどうカラフルに訳していくか。ここは、この文章の中で一番カラフル。特に私たちが翻訳者だからかもしれないけど、情景に色彩がついて見える部分なんだろうなと。そこで、カンマの前をどう訳すのか、that以下にどう力点を置くかという話だと思います。そういうことを最初の段階で把握するのが、書き手によるプレゼンの部分を読みとるっていうことかな。

抽象から具体へと言い換える

深井:あと、言い換えているときに、基本的には抽象から具体的に、とパターンを作ろうとしていますよね。抽象から具体、抽象から具体、抽象から具体、と。物を書く方はそういう工夫を一生懸命なさった経験があると思うんですけれども、そこを読みとってあげられないと、原文を書いた人は「うーん、甲斐がなかった、工夫したのに」って泣きたくなる。原文を書いた人の努力はやっぱり無駄にしたくないな、とそういう視点は要りますよね。ここはそれがすごくわかりやすい例だったかもしれません。

なぜ英英辞書なのか

英和を最初に引いてしまうと……

高橋:あと、driftっていう言葉がわかりにくかったかもしれません。単語が一個ずつの積み木だったとして、それぞれバラバラにその辺を漂っているのが、ひとつの意味として筋のとおったものに見えてくるという文ですよね。その「漂っている感じ」がdriftだと思います。でも、最初からdriftを英和辞典で引いてしまうと、この意味が出てくるのが4つ目くらいなんですね。
 
深井:英和だと「駆り立てる力、衝動、推進力、漂流、横流れ、流程、漂流した距離」。「海」という感じの強い語ばかりです。私たちがいま探しているものはどういう語か。リーダーズだと「《雨・雪・土砂・吹き寄せ、吹き溜まりに》追いやられるもの、押し流されるもの、漂流物」つまり、動きがあるものです。これが当てはまりますかね。
 
高橋:それでもやっぱりわかりにくい。Cobuildにはこう書いてあります。“a drift of something is an amount of it which is suspended in the air, or in water, or spin carried on by the movement of when an water.” 読み解けた途端に、ぐしゃぐしゃのピースが、何かの意味のあるつながりにぱっと変わる。というのがここで言われている内容かな、と。
 
深井:流れが水なり風なりで運ばれている感じのもの。OALDで引くと、“a large pile of sth, especially snow, made by the wind” もじゃもじゃっと積んであるような感じのものが、ある日突然「うわっ!」て、なんか絵が見えたり、意味が見えたり。そういう瞬間のことを言ってるんですよね。それから、drift of flowersっていうのは、a large mass of sth。largeっていうのも大事なファクターで、もじゃもじゃってたくさんいっぱいあるというイメージです。そういうことも英英でわかるんじゃないかな。

最後の文そのものが「まとめ」

高橋:最終の11段落は総論に戻り、原文と翻訳者の緊張関係という話が出てきます。原文の書き手と読み手の間にはある種の緊張関係が存在する。原文の書き手とその読み手である翻訳者との間、訳文の書き手とその読み手である読者との間にも、緊張関係が存在する。

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この課題文の最終段落では、こうした「3つの緊張関係」が論じられています。私たちはこの三つ巴の中で翻訳という仕事をしていることをもう1回きちんと見直す。この文が最後のまとめとして出てきているっていうのも、すごく共感するな、って思うところです。私たち翻訳者が考えていることのまとめそのものが、この最後の文なんですよね。
 

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本ワークショップ参加者の感想はこちら


 
➋ある特定の主題について論じた文。小論文。論説。(『明鏡国語辞典』 大修館書店より)
➊自由な形式で自分の見聞・感想・意見などを述べた散文。随筆。随想。
ここでは、以下の第二義の意味で使われている。
※2:エッセイ(Essay)
 
訳出の対象となる原文を、一段落につき一行でまとめること。原文の全体がどのように展開され、どういう風に、何がどこに書かれているかを、訳し始める前に把握するための作業。実際に訳出していくときに迷子にならないための指針としても、重要な役割を果たす。
※1:一行まとめ