十印五十年史連載 最終回 「海外展開 次の五十年へ向けて」

2013/11/08


十印五十年史連載 最終回
海外展開  次の五十年へ向けて

 
 
こ れまで四回に渡って株式会社十印の五十年の歩みをお送りしてきたが、同社の歴史を語ることは日本の翻訳業界史を振り返ることに等しい。他社に先駆けてこの 業界の道を切り拓いてきた同社の現在、そして今後の取り組みを探ることは、日本の翻訳業界全体の一つの指針となりうるだろう。
現在のトップは2005年に代表取締役社長に就任した渡邊麻呂である。創業から半世紀を迎えた十印が新体制の下で掲げる目標は、「日本の十印」から「アジアの十印」ひいては「世界の十印」へと成長することである。
同社の海外展開の試みは四半世紀前の1987年に遡る。国内に目標とすべきライバル企業もいない中で、まさに試行錯誤の取り組みであった。
最 初の海外拠点はアメリカ、ニューヨークに置かれた。日本の得意先大手企業の海外進出に伴い、その言語面でのサポートが業務の中心であった。「当時は大企業 といっても国際テレックスや通訳ができる人材は貴重でしたから」と勝田は語る。セントラルパークの目の前のビルの一室を購入し、本社から社員を派遣し小さ なオフィスとした。しかし同地の日本企業がノウハウと人材を獲得するに従って需要は縮小し、このオフィスは二年程で閉鎖にいたる。
 

1989年アメリカDashe&Thomson社を訪ねて。講師の方と
 
連載第三回でも触れたとおり、1988年には米国の大手マニュアル制作会社Dashe&Thomson社と提携し社員を約4年間、半年ごと二名ず つ現地に送った。この海外研修はテクニカルライティングやプロジェクトマネージメントなどを学ぶことを主な目的としており、事業所としての活動が積極的に行われ ることはなかった。日中はミネソタ大学でテクニカルコミュニケーションのコースに通い、夜はD&T社で米国流の実務を体験する日々であった。研修に参加した社員は、アメリカで仕事の基本を学び視野を広げ、その後さらに力をつけながらビジネスを展開していった。「人こそ重要な資産であり、人の成長が会社の成長です。人材育成への投資はおろそかにできませんでした」と勝田は言い、「力をつけて活躍するようになった社員がどんどん外資などにヘッドハンティングされていきました」と笑う。辛い思い出も笑い飛ばすこ とができるのは、取材中に何度となく垣間見た勝田の魅力の一つである。
初めて本格的な海外営業拠点が開設されたのはその翌年の1989年のことだ。舞台はやはりアメリカ。事前の調査の末に、アトランタに現地法人TOIN Americaが設立された。すでに多くの日本企業が進出していたことが同地が選ばれた理由である。
 

Park Avenueにあったニューヨークオフィス

結 論から述べると、TOIN Americaの経営は軌道に乗ることなく、一年ばかしで手放すことになる。「日本企業を想定顧客として海外進出を図ったのが失敗の要因だったのではない か」と当時から十印に在籍する社員の一人は分析する。「でもその時現地で雇用した2人のアメリカ人が事業を引き継ぎ、今は立派に事業を伸ばし、ヨーロッパ にも拠点を展開している。たまに連絡があります」と勝田は笑う。
そして訪れたのがバブル崩壊である。
この後の日本経済の低迷は「失われた 20年」とも言われるが、90年代初頭の海外ソフトウェア企業の日本進出に伴い、十印は新規事業に活路を見出した。ローカリゼーションである。軒並み経営 不振に陥っていた日本企業からの受注は減少しても、この新たな主力商品を以って外資IT企業にいち早く営業展開することで十印はバブル崩壊のあおりを乗り 越えることができた。
同時期に十印の海外戦略はある転換期を迎えた。キーワードはCCJK(中国語繁体字、簡体字、日本語、韓国語)である。中国、韓国の国力が増すにつれこれらの言語がアジア四大言語として大きな市場を形成し、さらなる成長が約束されていた。
 
1990年日本翻訳連盟としてベオグラードでの国際翻訳家連盟(FIT)の世界大会報告に参加

1998年、十印は中国、台湾、韓国の企業と戦略パートナーシップを提携する。日英以外の言語にも本腰を入れようという決意の現われであり、「アジアの十印」へと変貌するための布石であった。
ア ジアに目を向けた海外展開戦略は、仕事の性質に変化を生じさせた。それまで日本語をソース言語とする案件が大多数を占めていたのが、英語をソース言語とし て日本語、のみならずその他のアジア言語に翻訳する案件が増加していったのだ。どちらにより大きな未来が待っているかは明らかである。
80年代には「翻訳の十印」、「ドキュメンテーションの十印」と謳っていた同社は2000年代に入ると時代の変化に応じた「ローカリゼーションの十印」、「アジアの十印」という新しい二枚の看板を掲げ、積極的に海外へ打って出ていくこととなる。
2005 年をターニングポイントとして、同社の外向き志向はさらに強くなる。世界を市場とすることに人一倍強い情熱を傾ける渡邊麻呂が代表取締役に就任したのがこ の年だった。彼が十印の舵を握った当時はグローバリゼーションという言葉が流行して既にしばらく経ち、世界の翻訳・ローカリゼーション業界に目を向けると MLV(マルチ・ランゲージ・ベンダー)と呼ばれるいくつかの企業が欧米言語を主軸としながら世界規模で展開していた。「同じ土俵で海外のMLVと勝負を するのは得策ではない、と思いました」と渡邊は語る。
 
2009年3月業務計画発表会での渡邊
 
最初に彼がこだわったのはやはりCCJKであった。欧米企業にとって文化も風俗も全く異なりまだまだ敷居の高い言語圏であるアジア、そこでMLVに対して 優位性を持てるかどうかが海外進出の鍵であった。就任したその年に上海に中国オフィス、翌年にはソウルに韓国オフィスと二つの海外生産拠点をアジアに設置 し、「アジアの十印」というブランドをより明確に国内外に示していくこととなる。アジア言語に豊かなノウハウを持つことは欧米の企業に対して大きなアピー ルポイントとなった。
世界に進出する足がかりとしてCCJKがあったが、アジアの言語はもちろんそれらだけではない。「CCJKを通して十印が持 つ日本のクオリティ・ワークフローが欧米企業に認められれば、そこからその他のアジア言語、ひいてはヨーロッパ言語においても十印と一緒に組みたいと思っ てもらえる」と渡邊は世界進出の戦略を語る。「アジア、その中でも日本に本社があるということが十印の強みなのです」という言葉を裏付けるように、欧米で の業績は順調だ。
アメリカ進出の足がかりとして2000年に設立した営業拠点に加え、2006年にはアメリカでの活動の統合拠点としてTOIN USAを設立、2008年にはオレゴン州の翻訳会社Pacific Dreams社の制作部門を買収することで、生産部隊も備えた支社となった。その他、2007年には英国ロンドン、2009年には米国コロラド州に営業拠 点を設置している。
渡邊に今後の展望を伺うと、「間違いなく舞台は世界になるでしょう」との答えが返ってきた。市場規模が全然違うことを考えれ ば、当然であろう。「テクノロジーをいかに使っていくかが大事だと思います。海外のお客様はツールを好む傾向がありますが、印象で言うと日本の翻訳・ロー カリゼーション業界は二年くらい遅れてるんですね」。これからの翻訳業界を生き抜くためには革新的なツールに素早く対応していく必要があるのだと渡邊は言 う。
彼は十印の特徴の一つとして「フットワークの軽さ」を挙げる。昨今、よりスピードを速める機械翻訳の進化をいかに上手く取り入れるか。フットワークの軽さはこれからの時代に日本の翻訳会社が海外で通用するためにはとても重要であろう。
「50 年続いた十印を絶えさせるわけにはいかないという気持ちが強くあります。ビジネスモデルはこれまでも変わってきましたし、これからも変わるかもしれない。 だけど世の中の変遷と共に歩んできたこの十印という会社は、言うなれば一つの生き物のようですし、これからも時代の変化、お客様のニーズの変化に合わせて 生きていくのだと思います」と渡邊は語る。
「お客様にとってのベスト」を模索する中で果敢に新しいことにチャレンジしてきた勝田の進取の気性は、創業から半世紀を経て、次の五十年を見据える十印のDNAに確実に刻み込まれてる。
 
(「十印五十年史」の連載は今回で終了します。ご愛読ありがとうございました。)