JTF回顧録(前編)松下巌

2013/05/10

平成初期における「日本翻訳ジャーナル」と日本翻訳連盟にかかわる翻訳業界の状況

 
松下 巌(第三代JTFジャーナル編集長)
 
1.  はじめに
 「日本翻訳ジャーナル」の編集人を務めたのは平成2年から平成6年にかけてでしたので、「平成初期」というタイトルにしました。ここでは、その頃のジャーナルおよび連盟、連盟にかかわる翻訳業界の状況を紹介します。

2.  日本翻訳連盟と「日本翻訳ジャーナル」の歴史
 日本翻訳連盟は、任意団体として発足しましたが、1990年(平成2年)9月に社団法人となりました。設立時期と会長を示しておきます。
 ・1981年(昭和56年)4月    日本翻訳連盟設立
                                                          会長に川口寅之輔氏が就任
 ・1987年(昭和62年)6月    川口寅之輔会長が勇退
 ・1988年(昭和63年)5月    勝田美保子氏が会長に就任
 ・1990年(平成2年)9月      社団法人日本翻訳連盟を設立
                                                          会長に勝田美保子氏が就任
                                                          (任意団体の日本翻訳連盟は解散)
 ・2006年(平成18年)6月    会長に東郁男氏が就任
 会報は、連盟設立の翌年に第1号が日本翻訳連盟会報として発行され、途中で何回か名称・形態が変わりましたが、現在の日本翻訳ジャーナルに続いています。その変遷と編集人を列挙します。

 ●日本翻訳連盟会報
  第1号(1982年4月)~第2号(1982年8月)                      編集人:J.J
 次の日本翻訳新聞までの間に、JTF News、JTF Tribune、「理事会だより」が28回発行されている。
 ●日本翻訳新聞
  No.31(1987年2月28日)~No.74(1990年5月20日)      編集:日本翻訳連盟
 ●日本翻訳ジャーナル(B5雑誌版)
  No.75(1990年6月号)~No.79(1990年10月号)            編集人:板垣新平
  No.80(1990年11月号)~No.127(1994年12月号)        編集人:松下巌
 ●日本翻訳ジャーナル(A4版)
  No.128(1995年5月号)~No.158(1997年11月号)        編集人:大澤水紀雄
  No.159(1997年12月号)~No.196(2001年11/12号)     編集人:高崎栄一郎
  No.197(2002年1/2月号)~No.235(2008年5/6月号)    編集人:野上員生
 ●日本翻訳ジャーナル(pdf版)
  No.236(2008年7/8月号)~No.240(2010年11/12月号) 編集人:野上員生
  No.236(2011年1/2月号)~                                                 編集人:河野弘毅
 設立の1年後に発行された日本翻訳連盟会報から数えると、日本翻訳ジャーナルには30年を超える歴史があります。

3.  日本翻訳ジャーナル(B5雑誌版)について

 3.1  発行の趣旨
 従来の日本翻訳新聞に代えてB5版雑誌形式で日本翻訳ジャーナルを発行することになったのは、翻訳士資格認定試験委員長代行の安藤進氏が「工業英語」誌(1990年6月号で廃刊)に執筆してきた「翻訳士養成講座」を継続して掲載するのが目的だったと聞いています。それとともに、会員の寄稿などの掲載を増やす狙いもあったようです。

 3.2  最初の頃の内容
●定期掲載記事
 図1に日本翻訳ジャーナルの第1号にあたる1990年6月号の目次を示します。定期的に掲載する記事は、技術英語セミナー例会概要を含め6本ありました。
●連載講座
 最初からの連載講座は
 ・安藤進氏の「翻訳士養成講座」(「工業英語」誌掲載文含め41回)
 ・亀井忠一氏の「頭からの翻訳法・実践編」(3回+27回)
 ・原龍夫氏の「ビズネス英語講座」(42回、板垣新平氏継続分含む)
 ・川村みどり氏の「みどり先生の能力審査教室」(34回)
の4本で、付記した掲載回数のとおり総て長期連載となりました。
 次の7月号からは、
 ・時枝英政氏の「トランスレーションサービス開業How-To」
が6回掲載されました。
●会員の投稿記事
 会員からの投稿記事が4本あることが分かります。以後の号でもほぼ同じ状況でした。
 
3.3  編集人への就任と内容構成の革新
 日本翻訳ジャーナルは、順調にスタートしましたが、ご多忙の板垣氏の仕事を増やさないため、寄稿者が作成した原稿をそのまま版下として使用する場合が大半でした。そのため、文字の大きさ、フォント、行の間隔が必ずしも統一されていませんでした。それで、雑誌としての形を整えるために最新のOA機器を編集に使用するように提案し、作業することになりました。
 編集人として名前が掲載されたのは、こういう経緯でしたが、きちんとした雑誌に必要な条件として頭にあった誤植がないこと、目次がきちんとしているということの実現を目指しましたが、誤植をなくすことは至難の業で、次善として正誤を掲載できる程度に少なくすることしかできず、毎号のように、ティールームに訂正を掲載する状態でした。目次は、図2に示すように1991年6月号から読みやすく改善し(併せて表紙も変更)、さらに、各号の目次だけでなく年間総目次も1991年版(一部は12月号でなく次年1月号に掲載)から実現しました。
 ティールーム、ことば・ア・ラ・カルトという欄を1992年3月号から新設しました。前者は、読者とのやり取りを中心に掲載したいと考えました。後者は、1ページ満たないような言葉にまつわる記事の掲載を狙ったものです。
3.4    編集人の頃の記事の概要
 記事では、John Mackin氏の翻訳業界への提言、それに対する反論、Mackin氏の再反論など活発に討論が行われました。他に、翻訳士資格認定試験に対する質疑、応答などもあり、1991年には15本掲載しました。1992年~93年の討論は、機械翻訳に関する討論5本、新しい試験制度に関する討論2本。
 連載講座は、世代交代というわけではないが、ドイツ語、フランス語、生産管理、技術文翻訳の実際(和英)、医学入門講座、冠詞・無冠詞・単数・複数の深層語義と用法、知的財産権関連文書の翻訳、医学翻訳講座と多彩な内容のものが掲載されました。最後の三つは、雑誌版ジャーナルのA4版への移行とともに中断したのは残念です(件数が多いので執筆者は省略)。
 他の連載記事としては、長期連載となった翻訳よもやま話(早良哲夫氏)、忙中一服(森一氏)、結構きますよ、歌舞伎のせりふ(横田満男氏)、現地直送レポート 英国シェフィールド発(宮崎伸治氏)があります。ここでは省略しますが、宮崎氏はじめ海外に留学、出張された方、海外在住の方から、海外での経験、見聞、海外事情など多くの連載記事がよせられています。
 単発あるいは数回の寄稿もありますが、一々紹介するには多すぎるので、省略せざるをえません。
 次章で触れる内外の翻訳関連団体とのつながりに伴う内外の会議の報告も掲載されています。

4.  日本翻訳連盟にかかわる翻訳業界の状況

 4.1  概要
 平成初期の日本翻訳連盟では、内外の翻訳関連団体との連携、パソコン通信の利用、機械翻訳の動向が関心事だったと思います。

 4.2  翻訳関連団体との連携
 翻訳事業者の団体として発足した日本翻訳連盟は、他の翻訳関連団体と連携して、お互いの長所を生かしながら活動することが重要だと考えられています。相互に会員となっている日本工業英語協会は、1990年11月5日創立10周年を迎えましたが、連携に特別な変化はないため、詳細は省略します。日本機械翻訳協会については、4.4項に記載します。
●国際翻訳家連盟(FIT)
 日本翻訳連盟は、1990年8月ベオグラードで開催された第12回国際翻訳家連盟総会おいて準会員として加盟申請し、承認されました。この総会に勝田美保子会長と一緒に出席した亀井忠一理事が加盟申請審議時に日本翻訳連盟の状況を簡単に説明した他に、ワークショップで「日英間の頭からの翻訳法」という論文を発表しました。
 第13回総会には川村みどり氏が出席しました。
 「FITの会」が1993年9月30日に次の翻訳関係団体の連絡協議会として発足しました。参加団体は、日本翻訳家協会(JST)、日本翻訳者協会(JAT)、日本翻訳協会(JTA)、日本翻訳連盟(JTF)であるが、日本科学技術翻訳協会(NATIST)もメンバーになるとされています。
●翻訳の日について
 FITは1991年に「国際翻訳の日」を9月30日に決定しました。この日は翻訳の守護聖人である聖ジェロームの祝日です。日本翻訳連盟では、1992年9月29日に「翻訳の日」の記念行事を行いました。NHKテレビの取材を受け、「翻訳の日」の由来、英語しばいの様子、会長インタービューが放送されました。
 その後、「翻訳の日」の行事は、1993年は10月2日に、1994年は、東京で9月30日に、大阪で10月1日に開催されました。
●和英翻訳国際会議(IJET)
 第一回和英翻訳国際会議(IJET-1)が1990年5月26~27日に開催されました。主催は日本翻訳者協会(JAT)。広く世界中の日英翻訳関係者が一堂に会し、直面する問題について率直に語り合う相互教育とネットワーク作りを行うのが主旨だということです。
 以後、IJET-2が1991年6月21~23日に米国サンフランシスコで、IJET-3が1992年5月21~24日に山梨県河口湖畔で、IJET-4が1993年7月14~17日にオーストラリアのブリスベーンで、IJET-5が1994年5月28~29日に千葉県浦安で開催されました。
●米国翻訳家協会(ATA)
 日本翻訳連盟も会員になっているATAには、日本語部会があり、ATA総会の際には、JTFの会員が参加することも多く、その報告がジャーナルに掲載されています。

4.3    ネットワークの利用
 インターネットを利用するのが普通になった現在、パソコン通信は死語に近いですが、1980年代の後半から1990年代の前半は、全盛期でした。
●NIFTY-Serveの翻訳フォーラム
 NIFTY-Serveで翻訳フォーラムが開始されたのは、1989年の秋頃だと記憶しています。翻訳会社と原稿・納品のやり取りにネットワークを利用している翻訳者の意見がこのフォーラムに書かれているのが「21世紀倶楽部から」という表題でジャーナルに紹介されました。
●連盟パソコンネット構築
 1990年7月21日の理事会で、連盟パソコンネット構築の提案が事務局からあり、坂元誠氏がまとめ役として選出されました。
 1991年に通産省から「翻訳業におけるコンピュータネットワークの構築に関する調査」に450万円の補助金が交付されました。
●「ほんやく検定」でネットワーク受験の道を開く
 1992年8月23日実施の「ほんやく検定」(第14回翻訳士認定試験を改称)からネットワーク通信による試験を会場試験と併行して実施することになりました。ネットワーク試験については、反対意見があり、試験委員との間で誌上討論がありました。
 ネットワーク試験では、課題のネットワークへのアップロード、ネットワークで送られて来る解答の受信が必要で、使用するパソコンをぶら下げて連盟事務局に行き、送受信のために詰めていたことを懐かしく思い出しました。

4.4    機械翻訳関連の動向
 日本で商用の機械翻訳システム/ソフトが発表されたのは1984年から1985年頃でした。高名な翻訳者が、機械翻訳システムの発売が掲載された新聞を家人が見ないように隠したという伝説があるほど翻訳者に衝撃を与えたものです。当初は機械翻訳の実力が分からないため、翻訳の仕事がなくなるという心配を家人がしないようにと配慮したための行為でした。現状はどうでしょうか。
 日本翻訳連盟は、設立当初から機械翻訳に関心をもち、機械翻訳研究会を開催していました。1983年9月17~26日には、欧州視察団を結成し、ルクセンブルクのEC翻訳部を訪れ、機械翻訳の利用状況を視察していました。
●日本機械翻訳協会の設立
 1991年4月17日に日本機械翻訳協会が設立されました。会長の長尾真氏から、本ジャーナルに寄稿があり、1991年6月号に掲載しました。同協会は、1992年アジア太平洋機械翻訳協会と名称を変更しております。
●ネットワークによる機械翻訳サービスの開始
 1990年には、ネットワークによる機械翻訳サービスが複数のネットワークサービス会社で開始されました。
 ・1990年10月5日 NIFTY-Serveで日英機械翻訳サービス開始、後に英日
  機械翻訳サービス追加
 ・1990年12月21日 PC-VANで和英・英和の機械翻訳サービス開始
 ・1991年4月 西宮市が無料翻訳サービス開始
 ・1991年6月14日 フジミックがEYE-NETで英日機械翻訳サービス開始
●機械翻訳関連の会議、セミナー、フェアの開催
 この時期には機械翻訳関連の会議、セミナー、フェアも数多く開催されました。
 ・1991年7月1~7日 第3回機械翻訳サミット(MT Summit III)
 
 ・1990年11月5~6日 多言語機械翻訳国際シンポジウム ’90
 ・1990年11月21~22日 自動翻訳フェア開催 CT ’90

5.  終わりに
 20年ほど昔のことをまとめるのは大変でしたが、当時のことを思い出すのは楽しいことでもありました。日本翻訳ジャーナルをパラパラと拾い読みしながらの執筆でしたので、間違いや思い違いはそれほど多くないとは思いますが、誤りがあればご指摘ください。取り上げなかった事項は沢山ありますので、あれはどうだったという話があれば、補足できるかもしれません。
 自画自賛になりますが、この時期のジャーナルは、講座、読み物が多く、バラエティーに富んで、読みでがあるものでした。郵送料がかさむという理由でA4版のものに変えざるをえなかったのは残念です。
 これをまとめるように提案された河野編集長に御礼を申し上げるとともに、納期を何回も延ばしたことをお詫び申しあげます。