言語が与えてくれる本質への視点●セランド修子

2014/03/07

セランド修子(なおこ)

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会議通訳・翻訳家。2012年に約25年ぶりに米国より帰国。その後主にデポジションを中心とする訴訟通訳、法律翻訳、医療機器通訳、治験関連通訳を行っている。自作小説の博士論文で、ニューヨーク州立大学より文学博士号取得。翻訳として「Webは宝の山」(日経BP社)の共同翻訳がある。小説家としては、2009年に「文學界」新人賞二次選考通過。その後も応募を続けている他、米国文芸雑誌にも短編小説が掲載されている。夫は詩人のエリック・セランド。夫エリック・セランド訳の小説"The Guest Cat"(平出隆著。原題「猫の客」河出文庫刊)は、2月16日週のニューヨークタイムズベストセラー16位となった。
■連絡先:nselland@sellandtrans.com

 

高橋さんから、共に翻訳を生業としている国際結婚の夫婦は珍しいので、二人の仕事ぶりを文章にして欲しいとご依頼をいただきました。私どもの場合、加えて夫は現代詩をライフワークとしながら実務翻訳で生計を立て、私は小説や短歌を書きながら会議通訳をしておりますため、そのことも珍しい点であるかと思います。
夫婦で文学を日常の思考の中心としているという点を外しては、私どもの生活を語ることは難しいように感じます。本ジャーナルの前号で翻訳ライフについて書かれた鈴木立哉さんが「『フリーランス翻訳』とは自分の生活と密接不可分な、言い換えれば『生きること』に他ならない存在」と書いておられますが、私どもにとっては文学と翻訳とが切っても切り離せない関係にあり、まさに「生きること」とも密接不可分にあると言ってよいでしょう。

夫の一日ですが、六時に起きて先ずゴミの分別をし、次に糖尿病から盲目になった老犬に餌を与え、インスリン投与をすることから始まります。私は通訳に出る時はばたばたと準備をして出かけますし、通訳業務がない場合は、八時ごろまで寝ております。(時折思い出したように五時起きしてランニングすることはあります。)その後夫はシャワーを浴びてヨガをし、日英字新聞両方にじっくりと目を通しております。新聞については紙ベースです。日英時事表現の比較と重要記事に目を通す作業が短時間でできるためです。また私の場合、大使館でのデポジション通訳が多い中、携帯電話を持ち込めない環境でも紙なら休憩時間に目を通せるという利点があります。

通訳がない日に夫の生活を観察しておりますと、九時頃から生業の翻訳を始めております。大抵の翻訳家の方同様、何時までに何ワードとノルマを決め、それに従っているようですが、私の仕事のやり方と違うのは、彼は数時間たってそのノルマに達すると、おもむろに哲学書を開くという点です。私の場合は、いつ通訳業務が入ってくるか分からないため、ノルマに達してもひたすら翻訳を続け、納期を前倒しします。そして次に来た仕事をぎゅうぎゅう入れています。夫の場合、プライオリティは哲学的詩的生活にあるのは明らかです。結果的に彼は、一週間で恐らく五冊を下らない哲学書や詩に目を通し得ているのではないでしょうか。しかしこの優雅な生活も、今年に入ってから、とあるシンクタンクでのオンサイトの翻訳のために、月の半分は通勤しているため変わって来ております。それでも仕事が終わりますと、喫茶店に寄って、本を読んでは何やら書き物をしているそうです。

ただこうして身につけている、現代詩をベースとする日本語習得により、時に抽象的な技術者の日本語も彼は容易に理解できるようです。『現代詩手帖』に数年前に書いた随筆で夫は「英語の文法と構文を限定されたスチール写真に例えるなら、主語が曖昧で動詞が最後に来て、センテンスの意味を本来的に最後まで確定できない日本語は、イメージが絶えず動いて変化している映画のようなものだ」という意味のことを書いています。この日本語の流動性の面白さを夫は詩人として翻訳家として、こよなく愛している様子です。特に夫が最も敬愛する、日本現代詩のパブロ・ピカソ的存在の吉岡実氏の作品は、長い一文の背後に、顔は出さないけれど明らかに存在しているらしい主語が複数あり、それが詩を難解かつ流動的なものにしております。長くなるので引用しませんが、興味のある方は「吉岡実詩集」の「静物」をお読みください。

主語がどれであるか、そして、どのような作用を詩にもたらしているかは日本語話者でなくては分からず、そういった点を夫は私に聞いてきます。私はと言うと、今日の証人のこういう言い方は、英語では最も自然にどう表現したら良いかなどということを、帰宅してひたすらしつこく聞いております。また、2008年に日本への帰国を目の前にして再開した小説の博士論文とともに100冊の文学書を読まなくてはならなかった時は、ヘーゲル、ハイデガー、ヴァルター・ベニヤミンといった彼の図書コレクションと、何よりその知識が大きな助けとなりました。

夫がそのように言語との深い関係を維持している一方で、会議通訳を通した私と言語との関係は多分にゲーム的な、あるいは体育系的な要素があるように思えます。議題として製薬、医療から物理、法律理論に至るまで、自分で口にしていても時に意味が不明な複雑なスピーチを、弾丸のように訳して行く作業に私は短距離走者が恐らく感じているであろう、鳥のような至福の高まりを感じることがあります。同時通訳とは、知力とともに脳の筋力が要求される、体育的な要素が多くあるかと思います。
今年の6月21日~22日に東京ビッグサイトで第25回日英英日国際翻訳会議(http://ijet.jat.org/ja/)が予定されておりますが、私はその実行委員として通訳セッション他の調整を務めさせていただいております。お仕事でご一緒させていただいた著名な先生とこのような形で再会できますことは嬉しい限りです。時折日本語ネイティブ委員と英語ネイティブ委員との間で、考え方の違いが顕著になる時、夫にそれを言うと例えば加藤周一の「日本文化における時間と空間」を引っ張り出してきてポンと目の前に置きます。この本の「大勢順応の貫徹と内面化」が現状解析の大きな手掛かりとなりました。

翻訳家として、表層的な人間間の相違よりも、言葉あるいは言霊に主眼を置いていると、本質が少し見えてくるような気がします。もう一人の翻訳家との夫婦生活はその軸からぶれない、導きをしてくれているようです。


 

コラムオーナー

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高橋 聡
(たかはし あきら)

 
CG 以前の特撮と帽子をこよなく愛する実務翻訳者。翻訳学校講師。学習塾講師と雑多翻訳の二足のわらじ生活を約10年、ローカライズ系翻訳会社の社内翻訳者生 活を約 8年経たのち、2007年にフリーランスに。現在はIT・テクニカル文書全般の翻訳を手がけつつ、翻訳学校や各種SNSの翻訳者コミュニティに出没。

■ブログ「禿頭帽子屋の独語妄言」
http://baldhatter.txt-nifty.com/trados/


 

MISSION STATEMENT

「意外と知られていないフリーランス翻訳者の素顔をさぐる」ために始まったこのシリーズ。そもそもは、私自身がいろいろな翻訳者さんの様子を伺ってみたいと思ったことがきっかけでした。思ったとおり、今に至るまでの人生も、生活スタイルも仕事のしかたも千差万別です。これからも、登場していただきたい方はたくさんいますが、執筆してみたい方がいらっしゃれば、ぜひ帽子屋までご連絡ください!