ソフトウェア・ローカリゼーションのこれから●西野竜太郎

2012/11/09

ソフトウェア・ローカリゼーションのこれから


 

 

西野 竜太郎

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IT分野の英語翻訳者でソフトウェア開発者。米国留学を経て国内の大学を卒業し、フリーランス翻訳者に。産業技術大学院大学修了(情報システム学修士)。現在、社会人学生として東京工業大学の博士後期課程にも在籍している。著書に『アプリケーションをつくる英語』(達人出版会)。また、週刊英和新聞の朝日ウイークリーでコラム「AppとWebで気軽に英語」を連載中。
ウェブサイト: http://www.nishinos.com/

 
1. はじめに
ソフトウェアのローカリゼーション(L10N)における主要な顧客は、ソフトウェア会社である。近年、ソフトウェア会社における開発手法に変化が起きつつある。特に米国を中心とした海外において従来の「ウォーターフォール型」に代わり、「アジャイル型」が増えている[1]。ソフトウェアの多くが米国で開発されていることを考えると、この変化がローカリゼーション・ビジネスに与える影響は大きいはずである。本稿では、2つの開発手法の違い、それらに適合したビジネス・モデル、および今後の展望について考察したい。
 
2. これまで
まずソフトウェア・ローカリゼーションの歴史を簡単に振り返ってみたい。2003年に書かれたEsselink氏の論文[2]に よると、1980年代からローカリゼーションの歴史は始まった。例えばマイクロソフト社は1978年に東京、1979年にヨーロッパに進出し、サン・マイ クロシステムズ社は1983年にヨーロッパ、1986年にアジアに進出している。当初こういった企業では社内のローカリゼーション・チームで対応していた が、徐々に外注を増やしていく。そして1990年代になると専門業者が数多く誕生し、ローカリゼーション業界が形成されることになる。2000年初期の段 階では、翻訳対象としてデスクトップ・ソフトウェア、オンライン・ヘルプ、マニュアルといったものが多かったようだ。現在ではさらに多様になっている。 ローカリゼーション業界はソフトウェア業界に歩調を合わせて発展して来たと言えるだろう。
さて、特にローカリゼーションとの関連から見て、 2000年代までのソフトウェアの特徴とは何であっただろうか。まず、デスクトップPC向けが主流だった点が挙げられるだろう。またソフトウェア自体は CD-ROMなどの物理メディアで配布され、インストールするケースが多かった(もちろんダウンロードがなかったわけではない)。また製品のアップデート は、数か月や数年など、ある程度の期間をおいて行われるのが普通であった。
こういったソフトウェアの開発に主に用いられていた手法が冒頭にも登場 した「ウォーターフォール型」である。ウォーターフォール型とは、その名前が示す通り滝のように上流から下流に計画的にプロジェクトを進め、基本的には後 戻りしない方法である。ソフトウェアの企画を立てたら、図1のように「要件定義」、「設計」、「開発」、「テスト」の段階を経て、最終的にリリースされる。

 
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図 1 ウォーターフォール型開発
 

ロー カリゼーション(翻訳)作業が行われるのは「設計」あるいは「開発」の段階である。ソフトウェアの機能やユーザー・インターフェイスが決まれば、外部の ローカリゼーション業者(翻訳会社)に発注し、翻訳を進められる。ウォーターフォール型の開発の場合はスケジュールが比較的長く、見通しやすく、かつ「基 本的には」[3]後 戻りしない。そのため、ソフトウェア会社が翻訳会社に発注し、それをさらに外部のフリーランス翻訳者に発注するという「外注ドミノ」とも言えるプロセスが 成立しやすい。ソフトウェア会社にとって、翻訳会社と在宅フリーランス翻訳者という組み合わせは、ウォーターフォール型開発で活用しやすいリソースだっ た。ローカリゼーション業界が発展した要因の1つはここにあると思われる。
このウォーターフォール型開発におけるローカリゼーション・ビジネスで 優勢だったのは「ワード単価方式」であった。この方式では客観的な数字で見積もりを出せるため、明確で分かりやすい。また、マニュアルやヘルプといった ワード数が多いドキュメントの場合、翻訳会社にとって利益が確保しやすい。半面、例えば翻訳メモリーのマッチ率によるワード単価値引きや、翻訳の「質」に かかわらず単価は同じといったデメリットもある。

 
3. いま
 
今 日では、従来のようなデスクトップ・アプリケーションがソフトウェアで圧倒的多数を占めているとは言えない。代表的なのはWebアプリケーションで、例え ばGoogleのGmailやFacebookのゲームである。また、iPhoneやAndroid上で動作するモバイル・アプリケーションも増加してい る。デスクトップ向けではなく、まずモバイル向けを開発せよという「モバイル・ファースト」という言葉も生まれている。
こういったソフトウェア は、CD-ROMのような物理メディアではなくインターネット経由で配布されることが特徴である。その背景には、インターネットの世界的な普及と回線の高 速化がある。実際、2006年から2011年の5年間で世界のインターネット・ユーザー数、ブロードバンド契約者数(固定回線)、および携帯電話契約者数 は倍増している。モバイル・ブロードバンド契約者数に至っては4年で4倍以上になっている[4]。また別の特徴として、アップデートの期間が比較的短い点が挙げられる。例えば「IMVU」というアバターを使ったチャット・サービスでは1日に20回、Flickrという写真サービスでは1日に10回アップデートしたこともあるようだ[5]。Webアプリケーションではサーバー側で更新すればよいので、こういった方法が可能となる。数か月や数年に1回という頻度でローカル側をアップデートしていたデスクトップの時代とは異なるのである。
さ てこういったソフトウェアの開発で頻繁に用いられるのが「アジャイル型」である。典型的なアジャイル型の開発では、数週間程度の短い期間で要件定義、設 計、開発、テストという1サイクルを完了し、リリースする。例えばWebアプリケーションで機能を1つ追加するケースである。こういった短いサイクルを繰 り返し、小さなリリースを何度もしながら、最終的な完成を目指すのである。企画を立てたあとは、図2で示すような流れとなる。

 
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図 2 アジャイル型開発
 

ウォー ターフォール型と同様、翻訳が行われるのは設計あるいは開発の段階である。しかし図を見て分かるように、ウォーターフォールとは異なり短期間で小さな翻訳 を何度も行うという作業を余儀なくされることになる。ここに従来の「外注ドミノ」によるプロセスの難しさがある。ウォーターフォールにおいてはスケジュー ルを見通しやすく、基本的に後戻りしないため、ソフトウェア会社は翻訳会社に発注し、その翻訳会社はさらにフリーランス翻訳者に発注するというプロセスを 採用できた。アジャイルでは時間が短いため、このプロセスを採ることは難しい。開発にアジャイル型を採用しているためか、少量の翻訳を短い納期で納品して くれと要求されるという事例はすでによく聞くし、今後も増え続けるのではないかと予想できる。従来の「外注ドミノ」というモデルは、ここに来て当然のもの とは言えなくなったのである。ただし、もちろんあらゆる開発がアジャイル型になるわけではないし、開発はアジャイルだがローカリゼーションはまとめて ウォーターフォール的にやるというソフトウェア会社もあるだろう。
アジャイル型においても「ワード単価方式」は機能する。ただしアジャイルでは少 量で短納期が基本であり、ウォーターフォール型であったようにマニュアルやヘルプの翻訳を大量に一括発注してもらえるケースは減るだろう。少量であれば見 積や連絡といったオーバーヘッドにかかるコストが大きくなり、利益を確保することは難しくなる。また、最近増え始めているモバイル・アプリケーションの場 合、画面が小さいため文字数も少ない。デスクトップ・アプリケーションと比べ、長いヘルプやマニュアルも同梱しにくい。ここでも「単価×ワード数」で料金 を請求する方法は不利になってしまう。つまり、ワード単価方式は全く使えなくなったわけではないものの、開発手法やアプリケーションの変化により、かつて ほどのメリットは享受できないということである。
「これまで」と「いま」について説明してきた内容を表1にまとめる。主流のソフトウェア、主流の ソフトウェア開発手法、およびローカリゼーション業界でメリットとなっていたビジネス・モデルの3点である。注意していただきたいのは、「これまで」のも のがすべて変わったあるいは使えなくなったわけではない点である。相対的に特徴的であると思われる項目を挙げている。

 
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表 1. 「これまで」と「いま」で特徴的な要素
 
 
4. これから
 
ソ フトウェア業界と共に発展してきたローカリゼーション業界であるが、ウォーターフォール型開発は徐々に減り、「ワード単価方式」と「外注ドミノ」によるメ リットは必ずしも明白ではなくなりつつある。近年台頭しているアジャイル型開発やモバイル・アプリケーションに対応してビジネス・モデルを構築するにはど うすればよいのだろうか。その明快な答えを私は持ち合わせているわけではないし、答えが1つとは限らない。結局はローカリゼーション業界に所属する各人が 考えるしかないのだろう。しかしそれで結論としてしまっては生産的ではないので、私のアイデアをいくつか例示してみたい。
まずアジャイル型で発生 する少量、短納期についてである。ここではワード数が少ないため「ワード単価方式」による利益が低下し、短納期であるためフリーランス翻訳者を使った「外 注ドミノ」が難しくなるのであった。1つの案としては、ソフトウェア会社に常駐したりビデオ通話(Skypeなど)を用いたりして、逐次翻訳を提供する サービスが挙げられる。チーム内での緊密なコミュニケーションはアジャイル開発において重要だと言われているため、こういったサービスはソフトウェア会社 にとっても価値はあるはずだ。
次に台頭するモバイル・アプリケーションに関してである。上記のとおりモバイル機器は画面が小さいためワード数が少 なく、ワード単価方式は厳しい。こういったケースでは別のサービスと組み合わせて包括的に請求するという方法が考えられる。例えば近年、ソフトウェアにお けるユーザー・エクスペリエンス(UX)が重要性を増している。つまり翻訳サービスにモバイルUX改善サービスを組み合わせて包括的に提供する方法であ る。実は私は2010年JTF翻訳祭で「翻訳者だからできる!世界に向けたアプリの開発と販売」という講演をした際、「翻訳自体は無料(フリー)で提供 し、別の関連サービスで利益を上げたらどうか」と提案した。これは私が実際にモバイル・アプリケーションを開発および販売し、モバイルはローカリゼーショ ンだけではビジネスとして厳しいという実感から生まれた提案である。上記でUX改善サービスと組み合わせる例を挙げたが、他にも語学の強みを活かして海外 ユーザーサポートを代行するサービスなど、組み合わせのアイデアはいくつも考えられる。
経営学に「近視眼的マーケティング」という言葉がある。企 業が自らの事業ドメインを狭く定義してしまい、変化に対応できず機会を逃してしまうことを指す。例えばかつて米国の鉄道会社は自らを「輸送事業」ではなく 「鉄道事業」と狭く定義した結果、自動車業界や航空業界との競争に敗れた[6]。同様にローカリゼーション企業、翻訳会社、あるいは個人翻訳者も、自らの事業ドメインを狭く定義することは避け、変化に柔軟に対応すべきであろう。「これまで」の延長線上に「これから」があるわけではない。

 
 
[1] 独立行政法人・情報処理推進機構の資料が参考になる。「非ウォーターフォール型開発の普及要因と適用領域の拡大に関する調査報告書」 http://sec.ipa.go.jp/reports/20120611.html (2012年7 月8日アクセス)
[2] Esselink, B. (2003), “The Evolution of Localization,” Guide to Localization 2003, 4-7, Multilingual Computing Inc.
[3] あくまで「基本的には」であるため、実際には翻訳ファイルが送られてから修正が入って苦労したという翻訳会社あるいは翻訳者も多いだろう。
[4] International Telecommunications Union (2011). "Key Global Telecom Indicators for the World Telecommunication Service Sector,” http://www.itu.int/ITU-D/ict/statistics/at_glance/KeyTelecom.html (2012年7 月8日アクセス)
[5] 渡辺千賀氏ブログ「ITアントレプレナーになりたい若者のみなさんはプログラミングを習得しましょう」 http://www.chikawatanabe.com/blog/2010/04/lean_startup.html (2012年7 月8日アクセス)
[6] ダイアモンド・オンライン「セオドア・レビット マーケティングの本質」 http://diamond.jp/articles/-/5507 (2012年7 月8日アクセス)


 

コラムオーナー

2012/05/11

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松田 浩一(まつだ こういち)

横浜市在住。長年SONYに開発系エンジニアとして務め、一念発起して2004年春に早期退職し、2005年秋よりフリーランスの特許翻訳者/産業翻訳者として独立して現在に至る。 専門分野は電子・電気/通信・ネットワーク/機械系。本業の翻訳と並行して、翻訳スクール講師、ネット翻訳道場の講師、SNSの翻訳コミュニティ管理者などを兼務。元気の源は愛犬と愛猫とジムでのエクササイズ。辞書と音楽とiPhoneが大好き。Facebookとmixiで同名のコミュニティ「翻訳の泉」を主宰。

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