Wordマクロ×アイディア×カンチガイ=なんだかすごいこと●新田順也

2012/05/11

Wordマクロ×アイディア×カンチガイ=なんだかすごいこと


 

新田順也(にったじゅんや)



エヌ・アイ・ティー株式会社代表取締役/ワードマクロ研究所代表。
大阪大学工学部環境工学科卒。カリフォルニア大学バークレー校工学部土木環境工学科修士。エンジニアリング会社、特許事務所を経て、2011年春にプログラマー・翻訳者として独立。業務効率化に向けたWordマクロの開発のためワードマクロ研究所を創設。ブログで数百種類のWordマクロを公開。翻訳者、翻訳会社、社内翻訳部門のマクロ活用のコンサルティングを実施。Wordマクロ活用セミナーは毎回キャンセル待ちとなる。日経パソコンのPC Onlineに「Wordマクロで仕事革命」を連載。2011年10月にMicrosoft MVPをWord部門で受賞。同月にエヌ・アイ・ティー株式会社を設立。
 
ブログ「みんなのワードマクロ」
http://ameblo.jp/gidgeerock
エヌ・アイ・ティー株式会社
http://www.n-i-t.jp
ワードマクロ研究所
http://www.wordvbalab.com

 

シアトルのカフェ
  2012年2月某日、私は米国シアトルのダウンタウンのカフェで、窓の外の小雨を眺めながらノートパソコンのキーボードをたたいていた。時差ぼけで少し頭 が回らないながらも、3日後の納期の翻訳案件を進めていた。私は翌週からマイクロソフト本社で開催されるMVP Global Summitと呼ばれる4日間のイベントに参加することになっていた。「本当に翻訳者として独立したんだな」と心の底から実感していた。シアトルに到着し たこの日、私は4つの喫茶店をはしごして、コーヒーと自由の味を思いっきり楽しんだ。
 私は、2011年の10月にマイクロソフト社からWord 部門のMVPを受賞した。MVPとはMost Valuable Professionalの略で、マイクロソフトの製品や技術のエキスパートとしてマイクロソフトから認定された個人を示している。世界で24名いる Word MVPのうち日本人は4名。そのうちWordマクロをメインにした活動でのMVPの受賞は日本初であった。そして今年の2月には、世界中のMVPが 1,500名が集うSummitに招待された。海外のWord MVPと顔を合わせ、Word開発者に直接意見を伝えられる貴重な機会となった。
 この記事では、翻訳者である私がWord MVPを受賞するに至った経緯を紹介する。また、私が提供する翻訳支援のWordマクロの内容も紹介する。

「共有」×「ワクワク感」=「きっかけ」

  私がWordマクロに出会ったのは、2つめの就職先の特許事務所だった。特許事務所に入所直後、翻訳者の水野麻子さんのサイトに出会った。ここで紹介され ているWordの裏技的な使い方を習得。また、特許翻訳用ツールとして、水野さんが開発したWordマクロも使い始めた。さらに、水野さんの私塾にて Wordマクロを独学するコツをつかんで以来、毎日(いや、毎晩)Wordマクロを書き続けた。
 学び始めて半年あまりたった2008年の7月に ブログでWordマクロの情報発信を開始。ちょうど今から4年前のことである。当時も今と同様、Wordマクロに関する日本語の情報はほとんどなかった。 海外のWord MVPが運営するサイトから学び、自分の疑問点も含めてブログで発信し続けた。
 ブログを始めて2年目の春、Wordマクロの仲 間を増やすために名古屋で勉強会を開始。「自分がこんなにもWordマクロが好きなのだから、他にも学びたい人がいるに違いない。」と半ば勘違いもあっ た。しかし、東京や大阪から参加してくれた仲間に支えられて、名古屋で1年間に計7回の勉強会を実施。このときに参加者と一緒になって作った勉強会のコン テンツや運営方法が、後の大阪、東京での勉強会に生かされた。
 「実際に特許翻訳をしているからこそ、思いつく内容だなーと思いました。」「非常 にわかりやすく、かゆいところに手が届く講義でした。また、他の翻訳者さまとの交流の場も設けていただき、ありがとうございました。」こんな感想に支えら れて勉強会と懇親会を続けてきた。現在までの2年間で、勉強会・セミナーを20回以上開催し、延べ400名の方々に参加していただいた。
 ブログ の始めて3年目(2011年)の春、Wordマクロを軸にして生計を立てるべく特許事務所を退社。ソフトウェア開発を発注したいと連絡をくれた方々がお り、プログラミング三昧の日々を夢見ての退社だった。実際には、安定した収入源として翻訳を請け負うとプログラミングをする時間がなくなるというジレンマ にも悩まされた。ただ、昼間からプログラミングを好きなだけできることや、想いを同じくする仲間と仕事ができることがうれしくて、それを原動力に仕事をし てきた。
 そして、思いもかけない応援がついてきた。日経パソコンのPC Onlineでの執筆の機会をいただいた。3名のMVPの方々ともお会いする機会があった。偶然の出会いや応援を経て、独立してちょうど半年後の10月1 日にWord MVPを受賞。まったく予想すらしていなかった船出となった。

業界の共有資産を作る

  私は、一般のプログラマーと比べて遅く(34歳)からプログラミングを開始した。私の中学の同級生は、誰もが知る某有名ゲームソフトのメインプログラマー として活躍している。そういう時代にいたのだが、私はIT業界の動向にあまり興味がなかったためパソコンに疎い方だと思う。このようにコンピューターに対 する免疫がないだけに、私はプログラミングがなし得ることに対して、未だに驚きとうれしさの入り交じった感情を抱くことが多い。この感情が、私のプログラ ミングの学習を支える動機付けになっている。また、このような先入観のない視点が、実は私の強みになっていると思っている。
 数年前にとある会社 でWordマクロのプレゼンテーションをしたときに、その会社のプログラマーを目の前にして、あるプログラムの効果を誇らしげに語ったことがある。私が自 慢していたのは、たった数行のプログラムなのであるが、私はこの魔法のようなコードのことを話さずにはいられなかったのだ。この20代のプログラマーは、 幼少時代からパソコンで遊んできたという。私があまりにも楽しそうにプログラミングを語るので、そのことが「うらやましい」と、後日お酒を飲みながら言っ てくれた。
 私は、プログラミングを「知恵の共有の手段」だと思っている。単なる「自動化の手段」だとは思っていない。私は自分の専門分野(翻 訳)を持ち、その作業の達成のためにプログラミングをしている。だから、翻訳者が欲しいと思う機能をかなり細かい仕様で決めることができる。この「細かい 仕様」こそが大切な知恵の固まりであり、「自動化」よりも大切なポイントだと思っている。Wordマクロにして配布すれば、その知恵を誰でもワンクリック で使うことができるのだ。こんなに素敵なことはないだろう。
 今はまだ、私や友人の知恵や経験をマクロにしているだけである。でも、今後は、いろ んな人とコラボレーションをして、翻訳業界の知恵を共有資産にしていきたいと思っている。そうすれば、暗黙知だと思われている翻訳の達人クラスのスキル を、Wordマクロにより皆が手にすることができるようになるのだ。

2秒×1000回=30分

  ここで、私が提供しているWordマクロの事例をいくつか紹介したいと思う。まずは、簡単なマクロから。キーワードは、「2秒×1000回=30分」。つ まり、「2秒程度の作業を自動化する簡単なWordマクロであっても、それを何度も繰り返し使えば大きな成果に結びつく」という考え方である。Wordマ クロを導入した会社や個人の事例を紹介する。

(1)ファイルの開閉だけで年間30時間!?
 たとえば、Wordファイルの開閉や 保存方法をマクロで自動化するだけでも、大きな時間の削減になることもある。10,000件以上の案件フォルダ内のWordファイルに対して仕事をする状 況を想像していただきたい。多段の階層にて管理されたフォルダを1つずつクリックして目的のファイルに到達するのだ。新規ファイルをフォルダに保存すると きも同様の作業が発生することはご存知の通り。このとき、「Word画面上で案件番号を入力してサーバー上の対応するフォルダを開く」というシンプルな仕 組みがあればどうだろうか。保存も同様のことができるようにした。このときにマクロの活用の効果を計算してみる。部門内で1日に100回ファイルを開閉す ると仮定する。フォルダを探してWordファイルを開くことや、ファイルを特定のフォルダに保存するのに要する時間をそれぞれ5秒とする。すると、5秒 ×100回=500秒(約8分)が1日に使われることになる。年間220日ではこれが30時間に相当する。マクロ1つでこの30時間を数時間にして、フォ ルダを探すストレスをゼロにまでしてしまうのである。

(2)印刷設定の変更だけで時間と紙代を節約
 プリンターの印刷トレイを変 更する手間だって馬鹿にならない。手差しトレイのレターヘッド付の印刷用紙にカバーレターを印刷し、2枚目以降はトレイ1の通常の用紙に印刷をすることも あるだろう。両面印刷にする場合もあるし、片面に2ページ分を印刷することもある。Wordマクロを導入すれば、このような印刷設定の変更もワンクリック で実行可能にしてしまう。Wordの設定方法を覚える必要性すらなくなってしまうのだ。

(3)「マウスを使わない操作方法」を知るだけで高速化
遠 方の翻訳者の方に、Skypeを使って私のデスクトップ画面を見ながらキーボードショートカットキーの操作を説明したことがある。このとき、「忘れても、 あとですぐに思い出せる仕組み」として、下図のような一覧表のマクロを提供。さらに、上書き翻訳で便利な、「カーソル移動用のマクロ」も提供し、その場で 各種マクロをキーボードに割り付けた。これだけではあるが、「仕事のスピードがかなり上がった」と喜びの声をいただいた。ちなみにこの方の翻訳歴は約10 年で、かなりの翻訳量をこなしている。しかし、こういう小さなところに翻訳スピードアップのヒントがあるのだ。

 
 

(4)Wordを上書き翻訳専用マシンにチューニング
  私は、一括置換を用いた上書き翻訳を活用しており、その翻訳で多くのマクロを活用している。例えば、原文の書式や表記を統一するマクロを実行した後、「ぱ らぱら」というソフトウェアを用いて複数の置換用辞書を用いて語句を一括置換する。これだけで、数万語の置換が可能になる案件もある。そして、「山猫の 手」という置換専用のマクロを用いて置換語句を保存しながら翻訳を進める。カーソルの移動、文頭の英単語の1文字目の大文字・小文字の切替え、複数語句の 並べ替え、用語が初出か否かの確認、記入したコメントを一覧表に変換するのもすべて、キーボードに割り当てられたマクロで行っている。「右クリックで Google!」というソフトウェアでオンライン辞書の串刺し検索もする。ここでは書ききれないくらいのマクロを手癖で駆使して、1日数千回も様々なマク ロを実行して翻訳をしている。

 
 
ぱらぱら(一括置換専用ソフト)
 
山猫の手(置換履歴を保存する検索と置換専用ソフト)



数時間をワンクリックで実行するWordマクロ!

 上記のように小さなマクロを繰り返し使うことに加え、ある程度作り込んだソフトウェアにて1回の実行で大幅な時間短縮を可能にするマクロもある。

(1)内容把握の支援も自動化
  私は、特許翻訳をする場合には、クレームに記載される構成要素や、図面番号、効果に関する記述には、マクロを用いて自動でマーキングしている。それまでの 手作業では数十分かけていた時間を削減できるだけではなく、マーキングの正確さが向上した。そして、翻訳を気分よくスタートできるというおまけがついてき た。
(2)特許翻訳の対訳表の作成と訳抜けのチェック
 マクロを用いると、対応する原文と訳文のファイルを指定するだけで、自動的に対訳 表を作成できるようになる。また、英数字の整合も段落毎にチェックするため、訳抜けも誤訳も納品前に確認することができるようになった。さらには、対訳表 を確認用として納品してお客様に喜んでいただいている。この操作を手作業でしていたら数十分、いや数時間かかるであろうが、マクロで実行すれば一瞬で終わ る。

 
対訳表作成マクロ(WO2009001622の段落番号を一部変更して利用)


翻訳はWordのチューニングによって楽しくなる

  私は翻訳作業そのものを、マクロが使える作業場として楽しんでいる。前日夜中に作ったマクロを早く使いたくて、ワクワクして翻訳に取りかかるということも ある。ただ、そうときにはたいていマクロがうまく動作しなかったりするので、マクロの修正を翻訳に最優させてしまったり(笑)。手段の目的化もいいところ ですが、これが私とWordマクロとの距離感である。一度プログラミングを始めるとなかなか翻訳の仕事に戻れないので、プログラミングを自制する日々が続 いている。
 Wordマクロを通じて多くの翻訳者の方々とお会いしてきて思うことは、それぞれの方が独自の翻訳理論や手法を持っているというこ と。だから、柔軟に翻訳環境を作ることができるWordマクロが楽しいと思う。私は自分の作業環境のチューニングをして、その結果を仕事に反映する喜びを 知っている。マクロをキーボードに割り付けるとき、どのキーが自分にとって使いやすいかを考えるのは創造的な作業であるし、マーキング用の蛍光ペンの色 も、マクロボタンの配置も自分にぴったりのものをあてたい。ここに仕事の楽しさが潜んでいる。
 Wordマクロについては、さわりだけいろいろと書かせていただいたが、具体的なソフトウェアやWordのチューニング方法はブログでご確認いただきたい。5月24日(木)にはJTFにてセミナーも開催予定。すぐに使えるWordマクロも配布する。

 今後、翻訳業界にとって使い勝手のよいWordとなるよう、マイクロソフト社と意見交換をする窓口になっていきたいと思っています。また、みなさまと実際にお会いして、一緒に仕事ができることを楽しみにしています。長文をお読みいただき、どうもありがとうございました。

 

1. カフェ外観                      2. スターバックス1 号店

        3. カフェのスープ             4. Jimi Hendrix とツーショット(シアトル観光)

5. 日本のMVP 集合写真                   6. 地面に投影されたMVP ロゴ


 

コラムオーナー

2012/05/11

松田 浩一(まつだ こういち)

横浜市在住。長年SONYに開発系エンジニアとして務め、一念発起して2004年春に早期退職し、2005年秋よりフリーランスの特許翻訳者/産業翻訳者として独立して現在に至る。 専門分野は電子・電気/通信・ネットワーク/機械系。本業の翻訳と並行して、翻訳スクール講師、ネット翻訳道場の講師、SNSの翻訳コミュニティ管理者などを兼務。元気の源は愛犬と愛猫とジムでのエクササイズ。辞書と音楽とiPhoneが大好き。Facebookとmixiで同名のコミュニティ「翻訳の泉」を主宰。

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