勉強、品質、自己管理●井口富美子

2013/05/10

井口 富美子(いぐち ふみこ) 


独日実務翻訳者。立教大学文学部日本文 学科卒業。卒業後は専門図書館に勤務。 国内外のゲーテインスティテュートでド イツ語を学ぶ。数回の短期留学とバイエ ルン州の小中高校で半年間のインターン シップを経験し、フリーランスの通訳者 となる。1992 年から 1994 年までフンボ ルト大学文学部日本語翻訳学科(ドイツ /ベルリン)に留学。帰国後は翻訳会社 に 10 年間勤務し、2005 年にフリーラン スの翻訳者として独立。専門分野は自動 車・機械・医療機器・歯学/特許明細書他。 ドイツ語という枠で専門分野を問わずお 仕事をいただくことが多く、知識を深め るために現在は化学とバイオを勉強中。 言語の比率は独和 8 割、英和 2 割。ドイ ツ語なら井口さん、と言われる翻訳者を 目指している。JAT 会員、IJET25 実行委員。
 
 
日々楽しみながら翻訳者として成長するために、私がこだわっていることを3つ、書いてみたいと思う。
 
仲間とつながる勉強会
2012 年5月、日本翻訳連盟主催のWordマクロセミナーに参加した(講師は新田順也さん)。その便利さに大変な盛会であったが、私はCATツールで翻訳してい るため、残念ながらWordマクロは前後処理にしか使えない。そんなジレンマを抱えながら会場で周囲の方を見回し、はてどんな人がこのマクロを使うのかし ら、そしていったいここにいる翻訳者はどんなふうに翻訳しているのかしらとぼんやり考えた。そんな疑問を抱いて数日後、Facebookに「どんなふうに 翻訳しているのか、みんなで見せ合いませんか」と書き込んでみた。すると1秒後に「やりたい!」2秒後に「見たい!場所は提供する」という方が現れ、3秒 で開催が決定、Twitterでも募集して、手探りで開催したのが6月だった。都合がつかずに来られない方がUstream放送を要望され、テリーさんが 駆けつけてくださって放送さえ実現してしまった。数人が発表したのだが、それぞれ分野もツールも翻訳方法もPCも辞書も、実に千差万別。みんな互いのPC をのぞき込んで興味津々。あとで本当に十人十色だね、ということになり、仲間が10人集まって「十人十色翻訳勉強会」が誕生した(現在管理人は12人、グ ループメンバーは約130人)。
10月には第2弾として「十人十色IT翻訳者編」を行ったが、それ以来みんなで見せ合う勉強方法を「十人十色方式」などと呼んだりしている。さらにFacebookページ(広報用 http://www.facebook.com/jyunintoiro )とFacebookグループ(グループのコミュニケーション用 http://www.facebook.com/groups/339270169513730/ )を作って参加者を増やしている。ご遠方の方、海外在住の方にもリアルタイムやアーカイブで勉強会がご覧いただけることが、最大のメリットかと思う。場所代以外は原則金銭の介在なしで互いに学び合うこの勉強会に、私は「地域通貨」と共通の自由さを感じている
現 在は十人十色方式だけではなく、座談会やセミナーも実施しており、昨年は第一回のセミナーとして「ロジカルシンキング」を開催し、今年はすでに「節税」、 「仕事と子育ての両立座談会」、「Felixセミナー」などのYouTube放送を行った。4月には「正規表現入門セミナー」、5月には広島と大阪で「出 張十人十色」、6月には「辞書十人十色」を予定している。

 


品質向上の工夫
ジャーナル寄稿のお話をいただいたとき、ぜひ紙上十人十色として自分の翻訳方法を披露したいと思った。訳文そのものの品質向上については自分で研鑽するしかないのだが、同じ程度に重要な、入力テキスト自体の品質向上のためにどんな工夫をしているかを書いてみようと思う。

 
  1. ATOK辞書
入力ミスや誤変換を減らすには、その大本である入力時にミスをしないことが肝要である。そこで私は日本語入力システムATOKと一緒に使用する辞書をたくさ ん入れている。辞書ブラウザのJammingに入れている辞書と重なるものもあるのだが、入力画面上で辞書が引けるので、特に漢字変換に迷うときや使用法 があやふやな場合に非常に便利だ。今入っているのは、広辞苑、大辞林、大辞泉、明鏡国語辞典、共同通信社記者ハンドブック、ライフサイエンス辞書、ジーニ アス英和、ロングマン英英である。
 
2. ATOK省入力
これはまだ始めたばかりなのだが、特に自動車分野はカタカナ語が多いので、3文字入力で候補が出るようにしている。例えば「アクテ」と入れると「アクティブ・クルーズ・コントロール」が候補に出る。ローマ字入力なのでかな入力より手間ではあるが、少しずつ工夫したい。
 
3. 特にスタイルガイドがない仕事が多いので、入力の際にはJTF日本語標準スタイルガイドを表記ルールの基本にしている。特に漢字で書く/書かないで迷うときは、JTFのHPで使える「JTF日本語スタイルチェッカー」のお世話になっている。
 
4. CATツールの校正機能+自作の校正機能
私は長年Transitという翻訳支援ツールを使用している。Tradosも使うが、自動車分野では圧倒的にTransitが多い。Tradosにも Transitにも数字チェック機能があるのでもちろん使っているが、Transitでは数字以外にもチェックの必要な用語(曜日や月、左右、上下、オン オフなど)を集めた専用辞書を作り、「用語のレビュー」をかけてミスをチェックしている(ターゲットとソースに用語ペアがないと知らせてくれる)。さらに 一括置換のペアを登録できるようになっているので、正規表現を使って入力ミスや同音異義語を検索している。
 
5. Wordと一太郎の校正機能、Just Right Pro
CAT ツールから訳文をコピーしてワープロソフトの校正機能を使用している。校正専用ソフトのJust Right Proも使っている。ただ、どれもパーフェクトではないので気をつけなければならない。一太郎の「全角文字変換」は使いやすく、特に納品前に特許明細書和 訳の半角文字残りをつぶせるので便利だ。
 
6. 秀丸エディタ
簡単な秀丸マクロを作って、顧客別の細かい入力規則に合わせて一括置換している(例:1つ/一つ、または/又はなど)。今後はコメント書きだしなど新田マクロも使いたいと思っている。
 
7. 詠太3
これはJust Systemsの読み上げソフトで、読み上げ中に該当箇所を黄色くハイライトしてくれる。聞きながら、文章の流れがおかしい部分や助詞の欠落などがはっき りわかって便利である。なにより、納期に追われる中、自分の訳文をある程度客観視できる。この原稿ももちろん読み上げてチェックしている。
 
8. ツールを使用した品質チェックではないが、納品前には顧客別のチェックリストで固有の要件が満たされているか、確認するようにしている。ドイツ語翻訳中心だとどうしても客先が多くなるので顧客管理は非常に重要なのだ。
 
以上が私の方法だが、これに加えて近いうちに、なかなか時間がとれなくてまだ使っていない音声入力ソフトも導入したいと思っている。これはもっぱら腱鞘炎予防が目的だ。ただ、入力ミスのパターンは変わってくるだろうと思う。
 
余談だが、私はJammingに数十種類の一般/専門辞書を入れている。よく言われることだが辞書はお金で買える「実力」だからだ。履歴書の末尾には所有辞 書の一覧を添付している(紙の辞書も含む))。文系出身で理系のバックグラウンドがないため、このような方法で自分の専門能力をアピールしている。登録の前や後でどの程度それが役に立っているのかはわからないが、メールで褒めていただいたことが何度もあり、社長が自らお電話をくださって「貴重なリストをありがとう」とお礼を言われたことまである。それを励みに今でも少しずつリストを増やしている。

 

 

自己管理
フリーランスという働き方で一番難しいのが自己管理だと思う。
それまで会社勤めで通勤だけで往復2時間半だったのが、独立して急に座職となり、しかも昼間はだれと話すこともなくPCに向かうのだから、すぐに運動不足、 肩こり、頭痛が襲ってきた。当時は思わぬ体調の変化にとまどい、なにより気分が落ち込んだ。体調管理も含めた自己管理の大切さを痛感し、色々考えた末にヨ ガと水泳を始めた。ヨガはもう5年になる。自分の内面を見つめながら体を動かすので、精神的な安定も与えてくれると思う。水泳は、習い始めて3年半にな る。カナヅチだったのに、今や個人メドレーを泳げるまでになった。肩こりもなくなり、頭痛もずいぶん減った。なにより、できなかったことができるようになるという成功体験が私のメンタル面を支えてくれている。想定外の効用だが、それに一番助けられている。辛いこと悲しいことがあっても泳ぐと元気になれるのだ。精神的な安定は、想像以上に翻訳の品質に影響すると思う。水泳の帰りには公園を散歩して、しばし自然とふれあうのも心の安らぎだ。季節の変化を感じる 一コマを写真に撮り、「今日の散歩道」と名付けてFacebookに投稿している。その写真に寄せられる友達の「いいね!」とコメントも、私を励ましてく れている。
「翻訳は深い読書」という言葉がある。それは出版翻訳だけでなく実務翻訳にも言えることだと思う。最近は仕事の予定を詰めすぎないよう にしている。時間的に無理があるなら勇気を出してしてお断りするのもプロの姿勢だと思う。1つ1つの仕事を今まで以上に大事にするようにして品質も向上させた。なにより仕事が終わったあとの達成感が強くなったように思う。読書や勉強の時間も確保して、心にゆとりを持ちたいと思う。

 

昨年は私にとって転換点となる年だった。SNSでたくさん仲間ができ、積極的に外に出てセミナーやオフ会などに参加するようになった。11月には日本翻訳連盟主催の翻訳祭でもセッションを担当し、普段の仕事では味わえない体験をさせていただいた。テーマが節税と運用で、翻訳祭でお金の話をするのはあなたが初 めて、と何人かの方に(悪い意味ではなく)言われたので反応を心配したが、翻訳者の皆さんの共通の悩みとして大変喜んでいただけたと思う。さらにはドイツ語が専門の自分には無関係と思っていたJAT(日本翻訳者協会)にも入会し、来年東京で開催されるIJET25の実行委員にまでなってしまった。勉強会も含め、やりたいことやアイデアが次々頭の中に浮かんでくる。突然世界が広がったように感じる毎日である。
また今年は1日だけだが6月に翻訳スクー ルでドイツ語の翻訳を教える機会も与えていただいたのだが、同じく新人講師の友人の声がけでベテラン講師の仲間が集まってくださり、経験に基づく貴重なア ドバイスをいただいた。本当に私は人に恵まれていると思う。自分は教えることには向いていないと思っていたが、今まで先輩や仲間から教えてもらい、この20年間に自分で身につけた技を、いつか大学で若い人に教えたいという気持ちも湧いてきた。いったい去年の今頃、こんな自分を想像できただろうか。つい1年ほど前までは孤独に仕事をしていた私が、SNSのおかげですばらしい仲間と出会い、互いに学び合い、助け合い、常に成長しようと前を向いている。これからも出会いを大切に、日々研鑽に努めて、まだまだ上を目指したいと思っている。


 

コラムオーナー

齊藤 貴昭
(Terry Saito)

 
電子機器メーカーにて開発/製造から市場までの品質管理に長年従事。5年間の米国赴任から帰国後、社内通訳・翻訳者を6年間経験。2007年から翻訳コーディネータ兼翻訳者として従事。「翻訳者SNSコーディネータ」として業界活動に精を出す。ポタリングが趣味。甘いもの好き。TwitterやBlog「翻訳横丁の裏路地」にて翻訳に関する情報発信をしています。

■Twitter: terrysaito
■Blog: http://terrysaito.com




 

MISSION STATEMENT

「翻訳横丁の表通り」には色々な人々が往来するようになりました。このコーナーでは、翻訳者さん達に「翻訳横丁の表通り」に出店して頂き、自身が持つ翻訳への「こだわり」を記事にして頂きます。「想い」であったり「ツール」であったり、「翻訳方法」であったり「将来の夢」であったり、何が飛び出るかは執筆者の翻訳への「こだわり」次第。ちょっと立ち寄って、覗いていきませんか?