辞書を歩む●松田 浩一

2014/11/07

松田 浩一



横浜市在住の特許翻訳者。長年SONYで開発系エンジニアを務め、一念発起して2004年春に早期退職し、2005年秋よりフリーランスの特許翻訳者として独立して今日に至る。専門分野は電子・電気/通信・ネットワーク/機械系。翻訳者としての仕事を軸足に、翻訳学校講師、ネット翻訳道場の道場主を兼務 し、SNSの翻訳コミュニティも数多く主宰。元気の源は愛犬と愛猫。辞書と音楽とiPhoneが三種の神器。
 
■プロの翻訳者/通訳者/語学関係者のコミュニティ(Facebook)
One Hundred Club:https://www.facebook.com/groups/honyaku/

 

2月は大雪の頃、投稿のお誘いを受けてからしばらくは余裕綽々で構えていたはずなのに、手つかずのまま放置していたら紅葉の季節になってしまった。火事場の馬鹿力を発揮して一気にねじ伏せようとする性懲りもない人間である。翻訳者として独立してからの9年間、どうにかこうにか切り抜けてきたが、まだまだ課題山積の発展途上だと反省。
 
タイトル「辞書を歩む」は「舟を編む」(http://youtu.be/xnqat2m0D2c)の安直なパクリであるが、三浦しをん原作の本/映画ともに大ファンである。普段「愛読書は辞書」と公言してはばからないのだが、辞書に纏わる造詣が深いわけでもなければ、辞書を学問として体系的に学んだ経験もなく、ただただ市井の辞書マニアに過ぎないのである。それを承知で、翻訳者としてのこれまでの歩みの一端を、辞書への思いも織り交ぜながら振り返ってみたいと思う。
 
 
翻訳者としてのこれまで
 
2005年10月18日は翻訳者として独り立ちした日。前年3月に会社を早期退職し、それから一年半の修行期間を経てようやく独立を許されたときの、身も震える高揚感は今なお心の襞に刻まれている。四半世紀にわたってエンジニア一筋で明け暮れ、留学経験や海外赴任の経験もなく、抜きんでた語学力を持ち合わせていたわけでもない私にとって、徒手空拳で飛び込んだ翻訳の世界は、ゴールへの道筋がなかなか見通せない新天地だった。ただ幸いにも、この修行中に生涯の師となる先達の薫陶を受ける幸運に恵まれたことで、翻訳者としての今日の軸足が定まっているのだと痛感している。
 
その後、実務経験を積み重ねていくうちに、2008年からは後進の指導に携わるご縁もいただき、翻訳者と翻訳講師の二足の草鞋を履く生活を続けて今日に至る次第。人と交わることが好きな性格もさることながら、まず自分自身が学ぶためにチャレンジしてみようとの思いが強かったように感じる。他人の倍は勉強するつもりで講義に臨んだし、疑問点を翌日に持ち越さないよう努めてきた。様々な出会いにも恵まれ、上には上があるのだと気づかされ、大いに落ち込むこともあれば、陽気に励まされることも多く、まことに愉快で得がたい経験に感謝するばかり。
 
言葉へのこだわり 辞書への思い
 
「辞書を買うために翻訳し、買った辞書を使うために翻訳をすれば、本当のプロになれる」(小澤勉)
 
翻訳者としての私の支えになっている言葉である。何かしら心に引っかかる言葉を目にし、耳にして、そのまま通り過ぎることができない性分は子どもの頃から変わらない。疑問が湧けば調べ、納得しては赤線を引き、覚えるために頁の端を折って過ごした。しかしなぜか、手垢にまみれないよう手を洗ってから辞書を引くという、妙に潔癖症の子どもだった。今でも本屋に足を運べば、辞書コーナーを素通りできない性分だけは変わらない。
 
言葉の迷宮に足を踏み入れると、「もうこれで十分」とか「改善の余地はない」などと底が浅く透けて見える世界では決してないことに気づき、底なし沼の景色がそこに広がる。普段の仕事ではもちろんのこと、書籍やネット上で目にする言葉遣いにいちいち反応するのが日常生活の一部になっている。たまたま、春先のテレビ番組で拝見した長井鞠子さん(同時通訳者)のドキュメンタリーにいたく感銘を受け(http://bit.ly/1kc6gNJ)、通訳者と翻訳者の違いにも面白い気づきを得ることができた。毎月決まって長井さんが和歌の稽古をなさるという件で、日本語をもっと極めたいと仰っている姿にまず共感を覚えるとともに、大和言葉を極めたいとのメッセージに、はたと膝を打った。特許翻訳では逆に、冗長な言い回しを避けるためにも意図して漢語を多用する傾向にある。やはり耳で聞いて理解する通訳(大和言葉)と、目で見て理解する特許翻訳(漢語)では違うのだと興味深く感じ入った。
 
 
辞書環境のどたばた(2013~2014年)
 
昨年の大きな動きとしてEPWING系辞書の絶滅危惧種指定が衝撃だった。恐らくは著作権管理の問題をクリアできなかったからであろう。今も発売を継続している辞書はあるが、これから新規発刊されるROM媒体辞書の全てがEPWING以外の形式になるはず。ちなみに、今春リリースされたリーダーズ第三版はLogoVista形式である。これまで、ほとんどの辞書をEPWING形式で揃えてきた身にとっては、辞書環境を構築し直すのは億劫でもあり悩ましい作業であったが、2013年夏に大きく模様替えした(写真1、2)。
 

<写真1> 旧辞書環境(~2013年7月)
 

<写真2> 新辞書環境(2013年8月~)
 
EPWING系で統一された旧環境(写真1)は、ある意味でガラパゴスの楽園だった。現在(写真2)は、以下のような複数の検索ブラウザを使い分けて、検索の一覧性と効率化を両立させている。以下に、主なブラウザとその役割分担について簡単に紹介する(詳細はネットで検索されたい)。
 
・Logophile(ROM系辞書の串刺し検索)EPWING / LogoVista の両形式に対応
・Dicregate(ネット系辞書の串刺し検索)
・Multiterm(自作辞書の登録/検索)
・PDIC(自作ノウハウ集の登録/検索)
・かんざし(上記4つのブラウザの司令塔役)
 
 
達人、怪人、そして変人
 
誰もがネット上で自由に発言できるようになるにつれ、一般人のレベルに引きずられて業界人やマスコミ人の書き言葉の質までが低下してきている。反面教師ともいえるこうした書き言葉が氾濫している昨今だが、見方を変えれば、「ここが問題だな」、「それはこうすればいいんじゃないかな」とちゃっかり勉強できるのだから、うまく活用できれば面白いと思う。また、日頃よく目にする光景として、難しいことを易しく説明なさる「達人」もいらっしゃれば、易しいことをどうしてそこまで難しく表現なさるのだろうと首を傾げたくなる「怪人」もいらっしゃる。日々こうした人間観察もまた楽しいのだが、そうして一人ほくそ笑んでいる私自身は「変人」なのかも知れない。
 
「あぁぁ言葉って面白い」
これこそが変人翻訳者として生きる醍醐味である。
 
最後までお読みいただいた皆さんと、これをきっかけに素敵なご縁が生まれるなら、火事場の馬鹿力も無駄ではなかったと自分を慰めてやりたい。
 
 
 

 

コラムオーナー

齊藤 貴昭
(Terry Saito)

 
電子機器メーカーにて開発/製造から市場までの品質管理に長年従事。5年間の米国赴任から帰国後、社内通訳・翻訳者を6年間経験。2007年から翻訳コーディネータ兼翻訳者として従事。「翻訳者SNSコーディネータ」として業界活動に精を出す。ポタリングが趣味。甘いもの好き。TwitterやBlog「翻訳横丁の裏路地」にて翻訳に関する情報発信をしています。

■Twitter: terrysaito
■Blog: http://terrysaito.com




 

MISSION STATEMENT

「翻訳横丁の表通り」には色々な人々が往来するようになりました。このコーナーでは、翻訳者さん達に「翻訳横丁の表通り」に出店して頂き、自身が持つ翻訳への「こだわり」を記事にして頂きます。「想い」であったり「ツール」であったり、「翻訳方法」であったり「将来の夢」であったり、何が飛び出るかは執筆者の翻訳への「こだわり」次第。ちょっと立ち寄って、覗いていきませんか?