同時通訳者 村松増美先生との思い出●矢能千秋

2013/07/05

矢能千秋(やのう ちあき)


University of Redlands卒。サイマル・アカデミー翻訳者養成コース本科(日英)修了。NPOえむ・えむ国際交流協会(代表:村松増美)事務局を経て、現在フリー ランス12年目、JAT会員8年目。JATではアンソロジー委員会、SNS管理委員会、ウェブサイト・コンテンツ委員会に所属。NESとペアを組み、ス ピーチ、ウェブコンテンツ、印刷物、鉄道、環境分野における日英翻訳に従事。昨年よりサン・フレアアカデミーにてオープンスクール講師も務める。

Twitter:人間翻訳者 @ChiakiYano
http://jat.org/translators/4596


 


 
       ≪村松増美先生≫         


今回、村松増美先生について寄稿のお話を頂戴して、とても光栄である。若い通訳者、翻訳者の方は村松先生のことをご存じないかも知れない。2004年頃まで 講演、執筆活動を活発にされていた。古い話も多いが、今の時代でも参考になることが多いと思うので、話半分でもいいので読んでみて欲しい。
 
かれこれ13年前、まだ私が翻訳者、通訳者として駆け出しの頃、「通訳入門」のクラスを受講した。1969年、アポロ11号が月面着陸をした際に、民間放送 で同時通訳をされた方が講師だった。週5回の集中講座で、その講座が先生のスクールでの最後のクラスだった。それが、同時通訳者、村松増美先生との出会い だった。2000年4月当時、70歳位でいらしたと思う。先進国サミットや国会演説での同時通訳のビデオを教材とした授業で、翻訳者、通訳者として駆け出 し始めたばかりの私は、ただただ「同時通訳って凄い仕事だな」と思うばかりだった。先生の著書「とっておきの英語―第一線同時通訳者の秘蔵話」(毎日新聞 社、P134)にも書いてあるが、チャールズ皇太子が国会で演説をされた際のエピソードを思い出す。「徳仁親王殿下が勉学を続けられるにあたって、英国、 そしてオックスフォード大学を選ばれたのは、英国国民にとって大きな喜びであります」「しかしながら、ご選考にあたって私の意見が求められていたら、私の母校ケンブリッジのほうをお勧めしていたと思います」(“I might have advised him to choose Cambridge.”)「私の母校」という言葉は原文にはないのだが、議場が大爆笑になったとのことだった。
 
「駄目なことは駄目」と厳しくおっしゃってくださる先生だった。私がお会いした時には残念ながら現役バリバリの雷親父でいらした頃よりは丸くなられていたようだが、それでも随分と駄目出しをくらった。昭和5年、浅草生まれの人情味あふれる方だった。
 
クラスが終わって、「じゃあ、また」と歩き始めたら、帰る方向が一緒で下車駅も同じ。蓋を開けてみると、バスも同じ路線で、坂の上に先生宅、坂の下に矢能宅、と歩いて伺える距離にお住まいだった。ちょうど名刺の整理など事務の手伝いを探していらしたので、当時独立をして在宅で仕事をしていた私と主人は、ふたり揃って先生のお手伝いをさせて頂くことになった。
 
先生の話は、サミットや宇宙衛星中継など、駆け出しの私とはスケールが違い、私はただただ聞き入るばかりだったが、そのひとつを紹介したい。賛否両論あると思うのと、模範解答とは言えないが、度胸がある村松先生らしいエピソードである。『ミスター同時通訳の「私も英語が話せなかった」』(講談社プラスアルファ文庫、P209)で紹介されている。
 
初の宇宙衛星中継で声が聞こえない。のちの駐日大使マイク・マンスフィールドさん(当時民主党上院議員)の口だけがパクパクしていて音声が聞こえてこない。「音声がないから 通訳が出来ない」と言えば良いのかも知れないが、日本の民間テレビ初の宇宙衛星中継で、音声はまもなく回復するに違いないと先生はヤマをかけて、アメリカ上院議員で民主党院内総務の長老がこうした席でいかにもいいそうなことを日本語で話し始めた。「日本のみなさん、私はアメリカ合衆国上院議員のマンス フィールドであります。この宇宙衛星というすばらしい科学技術の産物を通じて、日本のみなさんにこうして直接お話しできることを心からうれしく思いま す」。
 
「Intelligent guessをしろ」、「黙るな」、とクラスでは教えられた。このいざという時にIntelligent guessをするには、普段から新聞や関連資料を読んだり、ニュースを聞いたり、本番で黙らないように知識を仕入れておくことが重要である、と教わった。 この例は、黒子である通訳者が勝手に話して良いのか、ということもあると思うのと、私は翻訳者なので、経験豊富な同時通訳の方が冷や汗をかいたエピソード として話半分で読んで頂ければと思う。
 
声が大きくよく笑い、小さいが存在感のある方で、「あれを読みなさい」、「これを聞きなさい」、 と本やカセットテープをいつも下さった。駆け出しでお金がなかった私には大変有り難かった。「知らないものは訳せない。」シェークスピア、マザーグース、 聖書、スピーチ、ジョークなど、付箋をたくさん貼った本をいつも下さった。付箋には、“Yours if you like”、“Return”、“Comments please”などと書いてあることが多かった。駆け出しの学生がどのようなことを思うのかに興味があったようである。

 






 
 
 







付箋付きでいただいた本≫

 
「良文を精読、音読しなさい」とも言われた。「読んで、話しているうちに、自分のものになるから」とおっしゃっていた。Reader’s Digestなどの雑誌をぱらぱらとめくっては、ジョークを仕入れたり、「難しい雑誌は後ろから読むといい」とおっしゃったり、「無理して難しい雑誌や新聞を読まないでも、最初は対訳の英字新聞でもいいのだよ」とアドバイスを下さったりした。好奇心が旺盛で、若い人をお茶に誘っては、昔の武勇伝を話される一方で、若い人の話題を仕入れたりされていた。
 
本も随分と出していらっしゃるので、若い方でも機会があれば読んでみて欲しい。3月3日に82歳で亡くなられたと風の便りで聞いた。ご冥福をお祈りすると共に、教えて頂いたことを次世代へと繋げていけたらと切に願っている。
 
 
Interview:
店主: 矢能さんは、通訳の大先生の元で通訳の勉強をした経歴をお持ちですが、なぜ通訳者ではなく翻訳者を選ばれたのですか?
 
矢能: 通訳者養成コース、翻訳者養成コースを受講しましたが、子宝に恵まれまして、先生の手伝い、出産・育児と掛け持ちができるのが結果的に在宅翻訳でした。先生の近くにいたからなおさら、半端な気持ちでは同じ道に行けなかったのかも知れません。
 
 
店主: 村松先生から学んだことで、現在役に立っていることは何ですか?
 
矢能:  ユーモア、笑い、ウィットでしょうか。落語もよくたしなまれるお方でした。日本語でも英語でも良い文章に多く触れることで、自分の文章も磨かれます。 2000年にお会いしてから身近で先生の振る舞いを拝見し、言葉を訳すことを生業とするものの身の振り方を少しではありますが覚えたように思います。
 
店主: 次世代へとつなげたい「教え」とは何ですか?
 
矢能:  品質に妥協を許さない方でした。「村松先生にお願いしたい」という場面にもよく遭遇いたしました。指名される訳者であるには何が必要かをよく考えまし た。ひとことで「教え」を説くのは難しいですが、何年もご一緒させて頂いて身に付いたものがあると思いますので、時代に沿うように咀嚼して少しでも若い 方々に何かをお伝えできればと思います。
 
店主: チャールズ皇太子の通訳エピソードは面白いです。皇太子がCambridge出身であることを知らない日本人には、「母校」の一言がないとジョークは伝わらない。翻訳でもこのようなアプローチはできると思いますか?
 
矢能:  一語一句訳すと原文にない「母校」は意訳(足した)と判断されるかも知れませんが、大勢の方にジョークが受けたことで、スピーカー、依頼主の目的は達成されたと思います。ですから、「足した」のではなく、「これで足りた」とも考えられます。オーディエンスの背景知識が足りないことで、ジョークとして通 じない可能性はあったので、翻訳でもこのようなアプローチはできると思います。ただし、申し送り時にコメントが必要かと思います。


 

コラムオーナー

遠田 和子
(えんだ かずこ)

 
日英翻訳の傍ら翻訳学校での講師、またプレゼン研修の講師をしています。著書に、「英語なるほどライティング」、「Google英文ライティング」、「eリーディング英語学習法」、「あいさつ・あいづち・あいきょうで3倍話せる英会話」(講談社)があります。趣味は読書・映画・旅行です。また英語スピーチの練習、バレエのレッスンを続けています。それぞれ少しでも上手くなるため、地道に努力しています。

■Website: WordSmyth英語ラボ
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MISSION STATEMENT

WordSmyth Caféは、翻訳に関わるさまざまの人々が集う「誌上カフェ」です。当コーナーでは、毎号異なる執筆者にご登場願い、翻訳を含む言語に関わるさまざまなテーマを取り上げます。名前のWordSmyth (ワードスミス)は、wordsmith (言葉の職人)とmyth(神話=お話)を組み合わせた造語です。「言葉の職人として、さまざまな物語を紡ぎたい」という店主の願いを表しています。