知里幸恵:自身の価値を見つけたアイヌの少女●Deborah Davidson

2012/07/06






 

Deborah Davidson (translator/illustrator) was born and raised in Japan, going on to earn a BA in Asian Studies and an MA in Advanced Japanese Studies from US and UK universities. Since retiring from a 30-year career in Japanese-to-English translating, she has settled into a second career in the world of Japanese folk art. She resides in Sapporo, Japan. Her published translations include the works of novelist Miura Ayako and Ainu folklore.

Etegami blog: http://etegamibydosankodebbie.blogspot.com 

 



 

アイヌ文化を伝える翻訳者 Deborah Davidsonさん

 

今月のゲストは、アイヌ民話の英訳者でイラストレータでもあるDeborah Davidsonさんです。Davidsonさんは子供の頃旭川に住み、近隣のアイヌ人と触れ合う多くの機会を持っていました。現在は札幌在住で、埋もれ たアイヌの民話を英訳し紹介するプロジェクトにかかわっています。

 

今号では、Davidsonさんに「知里幸恵(ちりゆきえ: 1903-1922)」を紹介していただきます。知里幸恵は明治時代に北海道登別に生まれたアイヌ人で、「滅び行く民」と言われたアイヌ文化の保存に大きな貢献をした女性です。今から約百年前、知里幸恵はわずか19年という短い生涯のあいだに、アイヌ口承の叙事詩をアイヌ語から日本語に翻訳し、「アイヌ神 謡集」としてまとめました。つまり知里幸恵は、翻訳者でもあったわけです。

 

「アイヌ神謡集」の冒頭には、「銀の滴降る降るまわりに: 梟の神の自ら歌った謡」という叙事詩(ユーカラ)が収録されています。Davidsonさんはこの叙事詩を英訳出版し(英語版タイトル”Where the Silver Droplets Fall” )、物語に登場するフクロウのイラストも描いています。

 

絵手紙用の画仙紙に筆と墨で描いたものです。

アイヌの村の守り神とされるシマフクロウ。

         

さあここからが、Deborah Davidsonさんによる知里幸恵の紹介です(英語の原文を店主が日本語に抄訳しました)。

 

 

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知里幸恵:自身の価値を見つけたアイヌの少女

 

知里幸恵(1903-1922)は、明治政府の政策(アイヌ人の土地没収、日本風氏名への改名等)により、アイヌ民族の伝統文化が絶滅の危機に瀕していた時 代に、北海道で生まれ育ちました。彼女はアイヌ人として、和人(日本人)社会で差別され劣等人種の一員として扱われることに慣れていました。しかし独特の 生い立ちと、言語学者である金田一京助(1882-1971)との出会いにより、彼女はアイヌ人が民族の誇りを取り戻す運動の先駆者となりました。19歳 の若さで亡くなったとき、幸恵はアイヌの口承叙事詩「ユーカラ」を集めた詩歌集を完成させていました。彼女の「アイヌ神謡集」は、アイヌ文化を新たに見直 す契機となり、アイヌ人が自らの文化の価値に目覚め、永久に失われる前に保存しようと動き出すきっかけとなりました。

 

この写真は、彼女が死去する2ヶ月前、
大正11年7月に滞在先の東京の金田一京助
自宅庭で撮影された。(Source: Wikipedia)

 


 

幸恵の幼少期、アイヌの子供たちは和人から隔離され、4年生までしかない小学校で勉強していました。アイヌ人に高等教育は必要ない、という政府の方針による ものです。幸恵は非常に聡明な子供だったため、家族と先生の勧めでアイヌの学校を卒業後、和人の学校に移り初等教育の6年間を終えました。最後の2年間、 幸恵は学校では偏見と蔑視に晒されました。しかし家に帰ると、ユーカラの優れた謡い手である祖母がいました。夜になると、幸恵は祖母の語るアイヌ叙事詩を 聞き、祖母の歌う伝統的な歌を聴いて静かな時間を過ごしました。このような生活の中で、幸恵はアイヌ語と日本語の両方に堪能になりました。彼女の年齢と世 代を考えると、これは驚異的なことです。

 

小学校卒業後、幸恵は旭川にある職業女学校にアイヌ人として初めて進学しました。入学試験では、通常ならばクラスの副級長に選ばれるほどの好成績をおさめた にも関わらず、幸恵は日本人の級友の顔を立てるために、副級長になることを辞退しました。余計な注目を引けば、悲しい結果を招くことになるからです。幸恵 には親友もなく、教室の外で他の学生と交流することを避けていました。アイヌは毛深いと言われるのを恐れて、腕の毛を剃ってもいました。毎日、6キロの道 を歩いて通っていたのですが、長距離通学は生まれつき心臓が弱い彼女の健康には大きな負担でした。

 

幸恵が職業学校2年生になったとき大きな出会いがありました。言語学者でアイヌの言語を研究していた金田一京助です。金田一は北海道中を旅して回り、アイヌ 伝承文学の語り部を探していました。ある日、旭川を訪れユーカラの一等の伝承者である幸恵の祖母の家に一泊しました。翌朝、発とうとする金田一に、当時 15才であった幸恵が話しかけました。金田一は手記の中で、そのときの会話を書いています。

 

「先生は、私たちのユーカラのために、貴重なお時間、貴重なお金をお使いくださって、御苦労なさいますが、私たちのユーカラはそういう値打ちがあるものなのでしょうか」と、目をまるくしてきくので、私は、こう答えたものです。

 

「だっ て幸恵さん、考えてごらん。あなた方は、アイヌ、アイヌとひとくちに、まるで人間と犬との合いの子でもあるかのように、人間扱いもされず、侮辱の名を忍ん でがまんしている。あなた方は苦労しているじゃないか。しかし、あなた方のユーカラというものは、あなた方の祖先の戦記物語だ。詩の形にうたい伝えてい る、叙事詩という口伝えの文学なんだ。(略)叙事詩というものは、民族の歴史でもあると同時に文学でもあり、また宝典でもあり、聖典でもあったものだ。そ れでもって、文字以前の人間生活が保持されてきたのだ。」

 

  (といったら)幸恵さん、大きな目にいっぱい涙を浮かべて、「先生、はじめてわかりました。私たちは今まで、アイヌのこととさえいったら、なにもかも、恥 ずかしいことのようにばっかり思っていました。そういう貴重なものを、アイヌには縁もゆかりもない先生が、そのように思ってくださいますのに、その中に生 まれた私たちは、なんというおろかなことだったでしょう。ただいま目が覚めました。これを機会に決心いたします。私も、全生涯をあげて、祖先が残してくれ たこのユーカラの研究に身を捧げます」というのです。

「私の歩いた道」金田一京介、131-133頁

 

 

幸恵の将来性を見抜いた金田一は、帰京後すぐに、幸恵に卒業後に上京を促す手紙を送りました。

 

1920 年の春、幸恵は17歳で女学校を卒業しました。しかし金田一の求めに応じて上京するのには、さまざまの障害がありました。最たる理由は持病である心臓病が 悪くなっていたことです。金田一は北海道にいる彼女に新しいノートを送り、アイヌ文化や言語について思いつくことを何でもいいから書き留めるように告げま した。幸恵は、祖母が炉端で語るユーカラを文字に起こし、ローマ字でノートに書き移していきました。それからアイヌ語のユーカラを、美しく詩的な日本語に 翻訳していきました。金田一はその作業に感銘を受け、彼女にノートを送り続けました。

 

1922 年5月、幸恵はついに東京に行く決心をし、金田一の家に住み込みました。彼女は子守りをし、金田一のアイヌ言語研究の助手を勤めながら、故郷で始めたユー カラを収集する仕事に打ち込みました。しかし東京の暑さと、長時間、根を詰める生活は彼女の健康を蝕んでいきました。上京してから約半年後の9月18日、 幸恵はユーカラの詩歌集を完成させました。その夜、最後にペンを置いたほんの数時間後、幸恵は心臓麻痺をおこし、19年の短い生涯を閉じました。幸恵の作 品は、「アイヌ神謡集」として一年後に出版されました。

 

知里幸恵のアイデンティティは、彼女が生きた時代によって形成されました。明治時代は、彼女と同世代のアイヌ人の若者にとり、民族の誇りや個人の自尊心を育 むのはとても困難な時代でした。しかし幸恵は明晰な頭脳とたぐい稀な言語の才能を持っていました。天賦の才に加え、彼女は日常的にアイヌ語を話し、消え去 る寸前のアイヌ口承文学に毎日触れることのできる家庭環境にいました。

 

東京にいる間に幸恵がつけていた日記には、彼女がアイヌとしての自己アイデンティティを模索し続け、最後には社会が押し付けたイメージとの内なる戦いに勝利 したことを彷彿とさせる一節があります。ある友達が「東京へ出て黙っていればそのままアイヌであることを知られずに済むものを」と言ったとき、反発して次 のように書き記しています。

 

私はアイヌだ。何處までもアイヌだ。

(略)

アイヌだの他の哀れな人々だの、存在をすら知らない人であったかもしれない。しかし、私は涙を知っている。紙の試練の鞭を、愛の鞭を受けている。それは感謝すべき事であろう。

アイヌなるが故に世に見下げられる。それでも良い。自分のウタリ(同朋)が、見下げられるのに、私ひとり、ぽつりと見上げられたって、それが何になる。多くのウタリと共に見さげられた方が嬉しいことなのだ。

それに私は見上げられるべき何物をも持たぬ。平々凡々、あるいはそれ以下の人間ではないか。アイヌなるがゆえに見下げられる、それはちっともいとうべきことではない。

ただ、私のつたない故にアイヌ全体がこうだとみなされて、見さげられることは私にとって忍びない苦痛なのだ。

 

おお愛する同朋よ、愛するアイヌよ!!!

 

「思いのまま」知里幸恵、114頁

 

「アイヌ神謡集」序でも、知里幸恵は金田一京助に初めて会った日から、アイヌの伝統に関し、いかに自分の見方が変わったかを書き記しています。

 

其の昔此の廣い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活してゐた彼等は、眞に自然の寵児、なんと云ふ幸福な人だちであつたでせう。

(中略)

アイヌに生まれアイヌ語の中に生ひたつた私は、雨の宵雪の夜、暇ある毎に打集ふて私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書連ねました。

私たちを知って下さる多くの方に讀んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無現の喜び、無上の幸福に存じます。

大正十一年三月一日

知里幸恵  

 

知里幸恵の19年の生涯は、時代が彼女に押し付けた自己認識と境遇から自由になる戦いの歴史であったと言えます。金田一京助との出会いが、彼女の家庭環境と 知性に裏打ちされた潜在力を花開かせたのです。学校時代にアイヌであることを恥じて腕の毛を剃っていた幸恵。痛い目に会わないよう注目を避けていた幸恵。 そんな彼女は、永久に滅び去る寸前であったアイヌの伝承文化の価値を、命を削るほどの多大な自己犠牲を払うことで世の人々に知らしめたのです。

Deborah Davidson

 

 

英語オリジナル記事:Yukie Chiri: A Young Ainu Girl Discovers Her Worth

http://www.scbwi.jp/pdf/Newsletter_winter2012.pdf

 

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知里幸恵が口承のアイヌ語を書き写し、日本語に翻訳した叙事詩「銀の滴降る降るまわりに」と、Davidsonさんが英訳したWhere the Silver Droplets Fallの冒頭部分を紹介します。複数の翻訳者の仕事により、アイヌの叙事詩が英語圏の読者の手に届くまでの過程です。

 

知里幸恵によるアイヌ語のローマ字での書き写し

知里幸恵による日本語訳

Davidsonさんによる英語訳

“Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan.”

銀の滴降る降るまわりに,

金の滴降る降るまわりに

Where the Silver droplets fall, where the golden droplets fall

 

Where the Silver Droplets Fallは、短編集TOMO: Friendship through Fiction: An Anthropology of Japan Teen Storiesにおさめられ、2012年3月にアメリカで出版されました。TOMOは日本が舞台、または日本にゆかりのある物語を、世界中の読者に届ける目的で編まれた短編集です。本の収益はすべて、2011年3月11日の地震と津波で被災した東北に住む若者の支援のために使われます。

 

<インタビュー>

*What kind of translation did you do before retiring from it?

Commercial, legal, and technical translating.

 

*What challenges did you face in translating Ainu epics?

The epics are meant to be spoken out loud and there is a lot of repetition. It was challenging to figure out how to translate it into a form that was meant to be read rather than listened to, and to reduce the excess of words without losing the rhythm of the spoken language.

 

*What has been your interaction with Ainu culture?

I was born and raised in close proximity to Ainu communities and had many Ainu friends when I was a child. As an adult, I have translated several Ainu picture books. Some of them were published with funding from the Foundation for Research and Promotion of Ainu Culture. I did a great deal of research and writing about Chiri Yukie while I was working towards a Masters Degree in graduate school.

 

*Please tell us about the book TOMO.

I was invited to submit something to the TOMO anthology, and decided to submit my translation of 銀のしずくbecause it is about a boy and his family who overcome hardships with dignity, and it fit the theme of the book.

 


 

*Can you tell us about your illustration work?

I painted the image of the owl in the etegami style, using sumi ink on thick washi postcards with a high "bleed" factor. If I hadn't painted it for publication in Tomo, I would have added color to the image and accompanied the image with words, without which no etegami is complete. Etegami is one of my abiding passions. You can learn more about this Japanese folk art by visiting my Etegami blog. http://etegamibydosankodebbie.blogspot.com 

 




 

コラムオーナー

遠田 和子
(えんだ かずこ)

 
日英翻訳の傍ら翻訳学校での講師、またプレゼン研修の講師をしています。著書に、「英語なるほどライティング」、「Google英文ライティング」、「eリーディング英語学習法」、「あいさつ・あいづち・あいきょうで3倍話せる英会話」(講談社)があります。趣味は読書・映画・旅行です。また英語スピーチの練習、バレエのレッスンを続けています。それぞれ少しでも上手くなるため、地道に努力しています。

■Website: WordSmyth英語ラボ
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MISSION STATEMENT

WordSmyth Caféは、翻訳に関わるさまざまの人々が集う「誌上カフェ」です。当コーナーでは、毎号異なる執筆者にご登場願い、翻訳を含む言語に関わるさまざまなテーマを取り上げます。名前のWordSmyth (ワードスミス)は、wordsmith (言葉の職人)とmyth(神話=お話)を組み合わせた造語です。「言葉の職人として、さまざまな物語を紡ぎたい」という店主の願いを表しています。