「モリエール劇の翻訳」●柴田耕太郎

2013/11/08

柴田耕太郎

 
 

1949 年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部仏文専修卒業。岩波書店嘱託を経て渡仏、演劇を学ぶ。帰国後、翻訳業界へ。演劇・映像・出版・産業の4ジャンルで実績ある翻訳者。老舗翻訳会社アイディの元代表。出版翻訳者を40人以上デヴューさせ、大学でも教鞭をとる翻訳教育者。「英文教室」主宰。

著書: 『翻訳家になる方法』(青弓社)
    『英文翻訳テクニック』(ちくま新書)
    『翻訳力錬成テキストブック』(日外アソシエーツ)

訳書: 『ロックシンガー 間違いだらけの発声法』(東亜音楽社)
    『ブレヒト』(現代書館)
    『現代フランス演劇傑作選』(演劇出版社)

 

 

実力派俳優の壌晴彦(エジンバラ国際演劇祭批評家賞受賞)と組んで、モリエール作品を連続上演してゆくことになった。シェークスピアほどではないが、モリエールにも既訳が幾種かある。新訳でやるには、それだけの意味がなければならない。そこでまず忠実な直訳をし、鈴木力衛訳、秋山伸子訳と並べてみた。*印 上下の行の訳文が原文の順序と逆転 
     

第4幕   「女房学校] (忠実な直訳) 700字   
第1場

  アルノルフ
  実のところ、俺はじっとしているのに苦労する、
  俺の精神は幾千もの心配を抱え込んでいる、
  あのいかれた若者のすべての努力を断ち切る*
  あれこれの算段をとるには*:(1)
  俺の視線を受け止めた裏切女めの何たる眼差し、
  自分がしたこと全てにいささかも動揺していない。
  俺を死ぬほどの目に合わせているくせに、
  自分は何もしていないといった感じを人に与える風情だ。(2)
  アレをじっと視て、その落ち着いた様子を見るにつけ、
  俺は身のうちに怒りの気持ちが増すのを感じる、
  そしてわが心を燃やす煮えたぎる激情が、
  心のなかでわが恋の熱情を募らせる。
  オレはアレに苛立ち、憤怒し、絶望した、
  そのくせ、俺にはアレが可ほど美しく見えたことはなかった;
  アレの目が可ほど俺の目を突き刺すように思えたことはなかった、
  アレの目に可ほど差し迫った欲望を持ったことはなかった、
  そして俺の哀しい運命の不面目が仮に成就してしまうなら*
  俺はその中で死なねばならないと感じる*。
  何ということか。俺はアレの教育に勤しんできたつもりだ、
  たっぷりの優しさと用意周到さを以て;
  子供のときから家へ来させていた、
  そしてその中で最大の愛情のこもった期待を涵養してきたはずだ;
  俺の心はアレの現れ始めた魅力の上に打ち立てられているはずだった、
  そして十三年間俺のためにアレを仕込んできたものと信じていた、(3)
  それが、アレが惚れこんだ莫迦な若者が
  俺からアレを強奪しにやってくるなどとは、
  それもアレが俺と結婚寸前の今となって。
  駄目だ駄目だ、あほだら小僧め、
  いくら立ち回ろうが無駄だ:それとも俺が徒労に終わるのか、
  それともそう、俺が貴様の希望を打ち砕いてやり、
  全くもって、貴様が俺を嘲笑できないようにしてやるかだ。(4)


 

 
 
第4幕  「女房学校」 鈴木力訳 (比較のため改行したが、元々はなし) 711字
第1場 
    アルノルフ
  どうもはや、じっとなぞしてはおられんわい。
  家の内外に締まりをつけるのに、
  あれやこれやと気をつかうことばっかりだ。
  あの色男めのもくろみを、ぺしゃんこにしてやらなきゃならんからな。(1)
  あの裏切り女め、よくもしゃあしゃとわしに顔を合わせられたもんだ!
  勝手な真似をしでかしおって、どきりとする様子もなかったよ、
  わしを死ぬほどの目にあわせておきながら、
  彼女の素振りを見たところじゃ、いっこう知らぬ存ぜぬといったふうだった。(2)
  とりすました顔つきを見るにつけ、
  じりじり腹が立ってくるばかりだ。
  わしの気持が燃えあがって、煮えくり返すほど逆上するにつれ、
  どうやら惚れた弱味がいや増して来るようだ。
  彼女に会えばいらいらもし、腹も立ち、絶望もしているんだが、
  彼女があんなに美しく見えたこともなく、
  彼女の目があれほどわしの胸を打ち、
  情欲をかき立てられたこともない。
  運悪くこんな不幸が続くなら*、
  焦がれ死にするくらいが落ちだろう*。
  はてさて!わしはあんなに優しく*、
  あんなに注意をはらって彼女の教育をしてやった*、
  子供のときから家へ引き取って、
  晴れて夫婦になれる日を心待ちに待っていた。
  美しく育ってゆくにつけ、あれこれとさきざきのことも考えてみた、
  十三年ものあいだ、わしとしてはできるだけのことをしてやったつもりだった。(3)
  だというのに、あの小僧っ子め、彼女を丸めこんで、
  結婚したも同然ないまとなって*、
  わしの掌中からさらって行こうというのか*?
  いいや、ならぬ、断じてならん!おばかさん、坊ちゃん、
  おまえが策略をめぐらしたってだめなこった、わしの丹精が徒になるか、
  おまえさんの希望が空になるか、どっちかにしてくれる。
  いい気になってわしを愚弄しようなんて、できない相談だよ。(4)

 


第4幕  「お嫁さんの学校」秋山伸子訳 (比較のために改行したが、元々はなし) 666字
第1場
  アルノルフ
  もうじっとしてはいられない。
  いろいろ目配りして、*
  家の内外を正して、*
  生意気なあいつのたくらみをすべてぶち壊してやる。(1)
  あの恩知らずめ、何ていう目つきで俺の目を見返したことか。
  あんなことをしておきながら、何とも思ってないなんて。
  あの調子じゃ、この俺が今にも死にそうになったって、
  「あたしには関係ないわ」って涼しい顔をするだろうよ。(2)
  目をじっと見つめると、相手はますます落ち着き払う。
  反対にこの俺は、ますます腹が立ってくる。
  燃え出したものだから、恋の炎のほうもますます激しくなったみたいだ。
  あの女のせいで、苛立ち、腹を立て、つらい目にあわされているというのに、
  あれが今まであんなに美しく見えたことはなかった。
  あの娘の眼差しがあれほど俺の目に突き刺さったことはなかったし、
  あれをあんなに欲しいと思ったことはなかった。
  俺の不幸が決定的になったら、*
  死ぬよりほかにないって思ったんだ。*
  何てことだ。今までの教育は何だったんだ。
  あんなに心を込めて、用心深くやったのに。
  子供の頃にあの娘を家に引き取って、
  楽しい期待はふくらむばかり。
  美しい娘に成長していく姿を見て、
  この俺のために十三年間も大切に育ててきたのに。(3)
  若い馬鹿な男が現れて、娘はそいつに夢中だ。
  俺は娘を横取りされそうだ。
  俺たちはもう結婚したも同然なのに。
  そんなこと絶対にさせるものか。絶対にさせない。馬鹿な奴、
  おまえがどんなにあがいたところで、無駄だ。俺のもくろみが失敗に終わるか、
  おまえの望みが水の泡になるか、
  どっちにしても、このままじゃ済まさないぞ。(4)

 
並べてみて、直訳といえども語法および解釈で、選択の必要が出る場合があるのが分かった。直訳も一つにはならないのである。
 
(1) avoir peine a:ⅰ)…するのに苦労する ⅱ)…し難い
忠実な直訳:…するのに苦労する
鈴木訳:じっとしておられん
秋山訳:じっとしていられない
・原文に含みがあっても、日本語ではどちらかに訳さねばならないことがよくある例。
 
 dedans et dehors:内外
忠実な直訳:抱え込んでいて
鈴木訳:家の内外に締りをつけるのに
秋山訳:家の内外を正して
・具体例にとるか心の中にとるか、原文ではあいまいな例。
 
pour:ⅰ) ためには ⅱ) ために ⅲ)ために…する
忠実な直訳:とるには
鈴木訳:つけるのに
秋山訳:正して
・根拠、目的、結果のどれか。英語のforと同じく、解釈が入らざるを得ない例。
 
(2)時制
忠実な訳:合わせているくせに…人にあたえる風情だ。
鈴木訳:合わせておきながら…知らぬ存ぜぬといったふうだった。
秋山訳:死にそうになったって…顔をするだろうよ。
・原文は現在形だが、流れにより過去形、未来形にするのは翻訳の誤差の範囲。
 
(3)日本語への咀嚼
・忠実な直訳は、疑似日本語といった感じ。これをかみ砕かねば、きちんとした日本語にならない。そこで表現が変わってくるのは当然のこと。
 
(4) ou どちら
・ouが二つ使われていて、どこで切るか。また発話者の思考の流れをどう読むかで、解釈が変わってくる。
 
さて、ここで思った。
忠実な訳は、原文の構造をそのまま生かし、語義は広めにとり解釈は控えるようにしたが、
どうしても意味を狭めねばならない箇所がでてくる。
鈴木力衛訳は、丁寧で読み物として優れているが、原語上演の1.5倍の時間が掛かってしまう。
秋山伸子訳は、話し言葉が生かされ、小劇場系での上演に適しているかも知れない。
本場の舞台に対抗するには、台詞、アクションとも原語並みのスピード感が必要。
原文内容の理解とスピード感は両立しにくいが…。
ならば二段階にしてはどうだろう。忠実な翻訳で意味を理解した上で、それを和文和訳し、思い切り凝縮した上演台本とするのだ。
 
というわけで上演台本例を作ってみた。原文は十二音綴の韻文、つまりコメディではあるが詩で書かれている。役者には朗々と詠んでもらいたい。
 

第4幕   [モリエール 女房学校] (上演台本例) 405字
第1場


  アルノルフ
  こうしているのが辛い
  千々の思いに心が痛む、
  すぐさま動いて
  若造をギャフンと言わせたいのだが。
  あの娘(こ)を睨みつけたが
  まるでたじろぎもしない、
  人をこんな目に会わせながら
  何ひとつ知らない素振り。
  あのしとやかななりを見るにつけ
  煮えたぎる思いがこみ上げるが、
  心を燃やす焔は
  かえって愛する気持ちを募らせる。
  怒りと憎しみ恐れが入り混じり、
  そのくせ初めて見たはっとする美しさ
  射られるような眼差しに、
  思わずこの身が突き動かされる。
  哀れな運命が泥にまみれれば
  俺の心は張り裂けてしまうだろう。
  何とも、慈しみ気を配り
  アレを育ててきた、
  幼い頃から家に来させ
  ゆったりと将来に思いを馳せてきた。
  アレの咲き出ずる魅力を糧に
  十三年の間じっと待ってきたつもりだ、
  それが変な男に惹かれ
  そのまま浚われようとしている、
  結婚寸前の今となって。
  駄目だ駄目だ駄目だ小僧、
  お前がうまく立ち回れるか
  俺がお前の望みを打ち砕くか、
  決着を着けてくれよう。


 
 
 
                                  
モリエールの肖像画                                  
 
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俳優 壌晴彦の主催劇団「座」のウェブサイト http://za01.com/

 
 
 
 
 
 
 

コラムオーナー

遠田 和子
(えんだ かずこ)

 
日英翻訳の傍ら翻訳学校での講師、またプレゼン研修の講師をしています。著書に、「英語なるほどライティング」、「Google英文ライティング」、「eリーディング英語学習法」、「あいさつ・あいづち・あいきょうで3倍話せる英会話」(講談社)があります。趣味は読書・映画・旅行です。また英語スピーチの練習、バレエのレッスンを続けています。それぞれ少しでも上手くなるため、地道に努力しています。

■Website: WordSmyth英語ラボ
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WordSmyth Caféは、翻訳に関わるさまざまの人々が集う「誌上カフェ」です。当コーナーでは、毎号異なる執筆者にご登場願い、翻訳を含む言語に関わるさまざまなテーマを取り上げます。名前のWordSmyth (ワードスミス)は、wordsmith (言葉の職人)とmyth(神話=お話)を組み合わせた造語です。「言葉の職人として、さまざまな物語を紡ぎたい」という店主の願いを表しています。