翻訳がつくる日本語●中村桃子

2014/05/09

中村 桃子

 

1955年東京生まれ。上智大学大学院修了。博士。関東学院大学経済学部教授。著書に、『翻訳がつくる日本語―ヒロインは女ことばを話し続ける』(白澤社)、『女ことばと日本語』 (岩波新書)、『〈性〉と日本語―ことばがつくる女と男』(NHKブックス)、『「女ことば」はつくられる』(ひつじ書房、第27回山川菊栄賞受賞)、 『婚姻改姓・夫婦同姓のおとし穴』『ことばとフェミニズム』『ことばとジェンダー』(以上、勁草書房)。共著に、Japanese Language, Gender, and Ideology (Oxford University Press), Femininity, Feminism and Gendered Discourse (Cambridge Scholars Publishing), The Language and Sexuality Reader  (Routledge)他。編著に、『ジェンダーで学ぶ言語学』(世界思想社)、『連続講義 暴力とジェンダー』(白澤社)。訳書に、『ことばとセクシュアリティ』(三元社)、『フェミニズムと言語理論』(勁草書房)。
 

ご好評をいただいております、『翻訳がつくる日本語―ヒロインは「女ことば」を話し続ける』(白澤社)の著者、中村桃子です。今日はこの場をお借りして、翻訳家でもない私が、どうしてこの本を書くことになったのか、お話ししたいと思います。
 
 
『翻訳がつくる日本語』では、日本語は翻訳から大きな影響を受けているのではないかという提案をさせていただきました。「翻訳が日本語に影響を与えている」という議論は、目新しいものではありません。「演説」という言葉や「~デアル」という言い回しは、明治時代に西洋の言葉を翻訳するために新しく作られたことが指摘されています。でも、翻訳が現代の日本語にも影響を与えているという声は、あまり聞いたことがありません。
 
私が最初に翻訳に興味を持ったのは、ファンタジー小説の大ベストセラー、ハリー・ポッター・シリーズを読んだときです。このシリーズに登場する女の子ハーマイオニー・グレンジャーの言葉づかいが、「まあ、~だわ、~かしら」のような、いわゆる「女ことば」に翻訳されていたのです。表1に、第1巻からいくつか例を挙げました。
 

 
 
   
 Harry Potter and the Sorcerer’s Stone
 J. K. Rowling  1997, Scholastic Press
 『ハリーポッターと賢者の石
 松岡佑子訳1999、静山社
 “Well, it’s not very good, is it?...”    (p.105)  「まあ、あんまりうまくいかなかったわね。…」
 (p.158)
 “He was never going to meet you…”  (p.159)  「はじめから来る気なんかなかったんだわ…」
 (p.233)
 “We wondered who Dumbledore had trusted
  enough to help him,…”             (p.232)
 「ダンブルドアが信頼して助けを借りるのは誰
  しらね
。…」 (p.339)
 
第1巻のハーマイオニーの年齢は11歳。日本で言えば、小学五年生です。日本の小学五年生の女子で、こんな「女ことば」を話している子供などいないのに、と不思議に思ったのです。

 
それ以来、意識して身の回りの翻訳を見てみると、ハーマイオニーに限らず、映画や新聞インタビューなど多くのメディアで、外国人女性の台詞は、日本人よりもずっと典型的な女ことばに翻訳されていることに気がつきました。たとえば、映画『エイリアン』(1979)で、主人公のリプリーがエイリアンとの死闘の果てに、一人だけ生き残って発したせりふは、以下のように訳されています。
 
     I got you, you son of a bitch.
     やっつけた 化け物!助かったのよ。(日本語字幕: 岡枝慎二)
 
実は、プロフィールを見ていただければ分かると思いますが、私は言語学分野の人間で、特に日本語の女ことばについて考えてきました。そこで学んだことは、二つあります。
 
ひとつは、「女ことば」は敬語と並んで日本語の特徴だと考えられていて、昔からある日本語の伝統だと言われているということです。日本語には「女ことば」と「男ことば」の違いがあるので、小説を読んでいても、英語のようにhe said(と、彼は言った)、she said(と、彼女は言った)といちいち書いてなくても、言葉づかいだけで話しているのが女性か男性か分かると言われます。
 
もうひとつは、意外にも、日本人女性は女ことばなど使っていないということです。女性が実際に話している会話を分析した研究の中には、ハーマイオニーが上の例で使っていた「~だわ」や「~かしら」は「死語だ」と指摘しているものもあります。つまり、邦訳のハーマイオニーは、日本人でも使わないような女ことばを話しているのです。
 
これは、おもしろいと思いました。なぜならば、日本人女性は使っていないのに、日本語の特徴であり伝統だと考えられている「女ことば」を大事に使ってくれているのが、翻訳の中の女性たちだからです。「女ことば」という日本語の伝統を守っているのは、日本人の言葉づかいではなくて、翻訳の日本語なのです。
 
なぜこのようなことが起こるのか。翻訳は、女ことば以外にも、日本語にどのような影響を与えているのか。本書では、男ことばや方言など、いろいろな言葉づかいの例も取り上げて、翻訳が現代の日本語に与えている影響を見ています。翻訳研究では、文学作品が取り上げられることが多いのですが、本書では、テレビドラマや新聞インタビュー、広告や映画にも積極的に言及しています。
 
翻訳の問題は、「日本人」について考えるにあたっても、面白い現象です。外国人に、「日本人は、私が少し日本語を話しただけで、『日本語が上手ですね』と言う」とよく言われます。これは、裏を返せば、日本人しか日本語を話せないと思っているということです。ある意味、「日本語を話せる」ことが日本人の条件になっているのです。
 
この論法から言えば、日本語とは「日本人が話している言葉」ということになります。しかしハーマイオニーの例では、外国人女性の方が女らしい女ことばを話しています。日本人よりも、外国人による会話の翻訳のほうが、日本語らしい日本語の伝統をしっかり継承しているのです。
 
だとしたら、「日本語とは日本人が話している言葉だ」とは言えなくなってしまいます。何しろ、翻訳では日本人ではない人が日本語を話すのですから。では、日本語とは何なのか。翻訳について考えていくと、翻訳家が翻訳するときに使うさまざまな言葉の重要性に思い至ります。ところが、「翻訳は日本語に影響を与えている」という視点は、翻訳家の皆さんにも意外に受け取られたようです。この理由はいろいろ考えられるでしょうが、「翻訳」という仕事がなかなか表面に現れにくいことも一因だと思われます。
 
グローバル化が進んだ現代、翻訳大国と言われる日本に住む私たちは、気がつかないうちに日々夥しい数の翻訳に接しています。書き言葉では、文学作品やテレビのテロップから取扱説明書まで、話し言葉では、映画やドラマの吹き替えからインタビューまで。考えてみれば、私たちが接している日本語の多くが、翻訳なのではないでしょうか。
 
一方で、大量の翻訳が日常的に行われると、翻訳家の仕事はますます目に付きにくくなります。原作の作者が大々的に宣伝されることはあっても、翻訳家の仕事が注目されることはめったにありません。たまに注目されたとしても、誤訳が指摘される程度です。
 
その意味で本書には、翻訳家の仕事に気づいてもらいたいという私の願いも託しています。私自身、ほんの少しですが、専門書の翻訳を手がけたときに、翻訳という仕事の難しさを実感したからです。実際、本書を書くにあたって数多くの翻訳作品を読んだり聴いたりしましたが、翻訳家の創意工夫に脱帽することばかりでした。こんなにも大切に翻訳された日本語に、私たちはもっとたくさんの注意を向けるべきではないかと感じました。
 
もちろん、本書の中では、翻訳という作業がはらむ問題点もいくつか指摘しています。黒人の発言がしばしば東北弁に翻訳されてきたという事実もそのひとつです。原語が使われている社会の差別は、翻訳を通して、日本社会の差別と結びつくことがあるのです。
 
このような問題も含めて、「翻訳は面白い」ことが伝われば、著者としてうれしい限りです。プロの翻訳家の皆さんから見れば、まだまだ足りない点もたくさんあると思いますが、ぜひ手にとってご覧になってください。
 

 

 

コラムオーナー

遠田 和子
(えんだ かずこ)

 
日英翻訳の傍ら翻訳学校での講師、またプレゼン研修の講師をしています。著書に、「英語なるほどライティング」、「Google英文ライティング」、「eリーディング英語学習法」、「あいさつ・あいづち・あいきょうで3倍話せる英会話」(講談社)があります。趣味は読書・映画・旅行です。また英語スピーチの練習、バレエのレッスンを続けています。それぞれ少しでも上手くなるため、地道に努力しています。

■Website: WordSmyth英語ラボ
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MISSION STATEMENT

WordSmyth Caféは、翻訳に関わるさまざまの人々が集う「誌上カフェ」です。当コーナーでは、毎号異なる執筆者にご登場願い、翻訳を含む言語に関わるさまざまなテーマを取り上げます。名前のWordSmyth (ワードスミス)は、wordsmith (言葉の職人)とmyth(神話=お話)を組み合わせた造語です。「言葉の職人として、さまざまな物語を紡ぎたい」という店主の願いを表しています。