プロジェクトマネージャに栄光あれ●平野幸治

2013/11/08

平野 幸治(ひらの こうじ)


(株)メディア総合研究所 翻訳事業部 営業部長
 
中央大学文学部哲学科西洋哲学専攻。1998年ITローカライズ専門翻訳会社に入社。プロジェクトマネージャとして、ソースクライアント系、MLV系の多数のプロジェクトマネジメントに携わる。プロジェクトマネジメントの傍ら、同社付属の教育センター定期講座にてTRADOS系講師を務める。その後、ドキュメント部部長/シニアプロジェクトマネージャとして組織運営を学ぶ。
 
2009年(株)メディア総合研究所入社。ローカライゼーション部長としてローカライゼーション部門の立ち上げを担当。
2012年より現職。ITローカライズのみならず、多言語、多分野の世界で奮闘中。最近の興味はIT以外のローカライズ分野とクロスメディア翻訳。
 
 


私は言語というものに興味がなかった。むしろ今でも苦手である。受験はなるべく英語の配点の少ないところを選び、会社に入ってからも、「言葉はツールだ。通じれば良い。」という気持ちで(時にはカタコトの英語を使いながらも)ほとんどまともな勉強をしなかった。ではなぜ翻訳業界に入ったのか?今から思えばなんとも若気の至りではあるが「楽そうだから」というのが理由である。この業界に入る前にはIT企業でインストラクターをしており、その範疇でトレーニングテキストの日本語化も行なっていた。もちろん自分で翻訳ができるわけもなく、翻訳会社に翻訳を依頼していた。そのころ(20年位前)は牧歌的であり「Power User」を「電源ユーザー」と訳されても笑って済ませられる時代であった。「こんないいかげんな事していても仕事になるのかぁ」と思っていた。翻訳会社さんからもちやほやされるし、あの頃は翻訳をなめきっていたのだと思う。
 
それでもなぜ英語嫌いの私が翻訳業界に入ったのか?それは私の興味が翻訳ではなくプロジェクトマネジメントにあったためだ。とはいってもソフトウェア開発のプロジェクトマネージャは過酷だろうな(なれるかどうかは考慮せず)、などと考え、結局のところは自分に都合の良い、しかもなるべく楽ができそうな仕事を選んだはずであった。
 
それが大きな間違いであったことに、すぐに気づくことになる。
 
入社1社目の翻訳会社はIT専門の翻訳会社であった。入社面接で「IT企業でテキスト開発をされていたのなら、TRADOSは当然ご存知ですよね?」と質問され、その時はうまくごまかしたが、実は「TRADOS」というものがこの世にあることを初めて認識した。なめていた分、入社してからの数ヶ月は七転八倒の苦しみの連続であった。まずは、英語がわからない(笑)、スタイルガイドってなんだか知らない、TRADOSもわからない、誰も教えてくれない(笑)。
 
「誰も教えてくれない」というと語弊があるかもしれないが、皆自分の業務に手一杯であるし、今から振り返ってみると、わからないことだらけで、何がわからないかもわからなかったのだと思う。
 
ただ、今から思えばこれが良かった気がする。自分の浅薄さが骨身にしみたし、「だれからも教わらず自分で勉強するしかない」と開き直ることができた。
 
プロジェクトマネージャー(PM)は管理職であり、技術職であり、営業職でもある。クライアントや翻訳者をはじめたくさんの関係者とうまく意思疎通することが求められ、コスト管理もしなければならない。 また、品質や段取りが悪ければ真っ先にクライアントから怒られる。ただ、私はこのPMという仕事で、たくさんの貴重な経験を積ませてもらった。クライアントからのクレームだけではなく、翻訳者やチェッカーからは「PMは翻訳の事をわかっていない」、「納期がタイトすぎて品質の保証はできない」等クレームが入る。それと相反して売上のプレッシャーものしかかる。もちろん落ち込む、プレッシャーに押しつぶされそうになる。人間とはすごいもので窮地に陥ると脳が一所懸命「生きよう」と回転する、あがく。そして私なりに一所懸命解決策を模索する。そして、つまるところ、この言語嫌いの私なりに「翻訳の本質とはなんだ?」などということまで考えざるを得なくなっていった。
 
また、当時の社長に半ば無理矢理にセミナーや業界懇親会に連れて行かれたのも良かった。PMとしては平日の日中なんて発注や納品でそれどころではないはずだが、なんとか時間を捻出した。その時見聞きしたことや「ご縁」は今でも私にとっての貴重な財産になっている。若手・中堅PMの諸氏には激務の連続であると思うが、是非、会社の外にも目を向けることをお勧めしたい。新しい発見があり、自分を高めることができるはずである。井の中の蛙、はよくない。
 
今ではSNS等を使ってオンラインでの議論もできるが、それらの有効性は限定的であり、あくまでもコミュニケーションの補助的なツールだと思っている。古いといわれるかもしれないがface-to-faceのコミュニケーションが重要と思う。
 
その後PMの頭に「S(シニア)」がつくようになりおこがましくもPMの元締めになった。PM業務は常に頭のフル回転が求められ、過度にストレスのかかる仕事である。しかしそれを発散する場がない。そこで、SPMとしての最初の仕事はPMの愚痴の聞き役になることから始めた。PMの苦しみはPMにしかわからないためだ。SPMになり一層売上責任も重くなったが、その代わり、「会社をまわす」ということがどんなに大変な事なのかも私なりに経験することができた。この場を借りて権限を委ねていただいた前職の社長には感謝する次第である。
 
その後、IT系翻訳以外の分野や営業さんががんばっている翻訳会社に興味を持つようになり、今の会社に転職した。転職当初はローカライズ部門の立ち上げを任された。ほぼゼロからの立ち上げは人生の中でもそうできる経験ではないと思う。翻訳者募集、トライアル手配、スタッフ募集、クライアント開拓ととりあえずなんとかできたのもPM時代があってこそと思っている。(昔も今も、もちろんたくさんの人に支えられて、である)。
 
今ではどうにか過度の緊張もせずにお客様と会話ができるようになってきたと思う。石の上にも三年とはよく言ったものだが、歳を重ねるのも意外と悪くないことだと思う今日このごろである。
 
今営業として思うことは、翻訳と一口に言っても、ニーズがますます細分化されているということだ。
 
勿論、文字情報を原語から他の言語へ変換するという仕事がかなりの部分を占めるが、非常にニッチな、翻訳とは少し毛色の異なる案件の相談も頂くようになってきた。現状そういった案件にすべて対応できているかといえばなかなか現実は難しい。
 
以前の寄稿者の方も書かれていたが、日本の翻訳のガラパゴス化問題も含めてまだまだ解決すべき問題は山ほどある。言葉は生きている以上、翻訳業界は当面斜陽化しないと思うのは楽観的すぎるであろうか?

コラムオーナー

矢野 直子
(やの なおこ)
PFU ソフトウェア(株)のドキュメント制作部門に所属。テクニカルライタを経て現在は社内翻訳者兼チェッカー。IT系ドキュメントの英日翻訳と、機械翻訳の活用に関する調査を担当。「ほんやく互学会」メンバー。石川県在住。

■PFUソフトウェア(株)
ソフトウェア開発/マニュアル制作/
翻訳 (ローカライズ)
http://www.pfu.fujitsu.com/psw/



 

MISSION STATEMENT

「翻訳会社の社員」とひとくちに言っても、翻訳から編集、チェックまで一人何役もこなす人もいれば、翻訳者としてスタートし、チェッカーを経て現在はコーディネーターという人もいます。あるいは、はじめからコーディネーターやプロジェクトマネージャとして採用された人も。「フリーランス」ではない「翻訳会社勤務の人々」のキャリア、ワークスタイルはどのようなものなのでしょう。また彼らが、それぞれのキャリアを経て辿り着いた現在の立ち位置からは、どんな景色が見えているのでしょうか。このコーナーでは、翻訳会社の社員の方に、これまでのキャリアを経て今みえてきた何か、リアルな日常、等々、「等身大の自分」を通して様々な本音の部分を自由に語っていただけるとよいな、と思っています。