翻訳書の編集は「生業」であり「使命」●小都一郎

2013/07/05

小都一郎(おづ・いちろう)



編集者。1975年生まれ。鹿児島県出身。東京大学文学部英文科卒。早川書房に入社以来、翻訳書を中心としたノンフィクション書籍の編集に携わり100冊以上を手掛ける。在社時の主な担当書にトム・ケリー『発想する会社!』、ポール・クルーグマン『格差はつくられた』、和田哲哉『文房具を楽しく使う』、松澤等『そこにシワがあるから』など。2003年よりノンフィクション編集部チーフエディター。2011年1月に早川書房を退社し、現在はフリーランス編集者として、光文社古典新訳文庫の編集スタッフ、雑誌WIRED日本版の外部エディターのほか、多くの出版社で企画の立案・編集作業を請け負っている。最近の仕事に、ハクスリー『すばらしい新世界』、ウォー『ご遺体』、メルヴィル『ビリー・バッド』(以上、光文社古典新訳文庫)、『レジリエンス 復活力』、『メソッド革命』(ダイヤモンド社)、『メイク・スペース』(阪急コミュニケーションズ)など。あと猫が好き。
 
twitter: @Ozzy_the_orz
メール:ozzy.1975@gmail.com

 




そもそも翻訳書の編集者って何をするの?と思われている方も多いのではと思いますので、そのあたりからお話できればと思います。
 
私は早川書房というところで、ノンフィクション書籍の編集者として、12 年ほど働いていました。国内の作家のものも 2 割くらいは手がけたと思いますが、8 割がたは翻訳書の編集をやっていました。
 
出版社の編集者の仕事は、国内作家の本でも翻訳書でも、ざっくりいうと(1)出版企画を立てる(2)本をつくる(3)プロモーションする、の三つの仕事があるわけですが、翻訳書の場合は(1)と(2)の比重がどうしても大きくなります。(3)はイベントに著者を引っ張り出すとか、新聞・雑誌への書評のお願いなどです。これらはやはり国内作家のほうがいろいろな手が使えますね。
 
(1)の出版企画というのは、何を出すか、です。国内作家ならば「誰に」「何について」「どのように」書いてもらうかですが、翻訳の場合はそこまではすでに海外で決まっているので、日本の読者のニーズ、会社の社風、そして自分の趣向に添うような作品を選んで版権を取るわけです。作品を選ぶ、といっても日々世界中で出版される本は膨大ですから大変です。以前は、出来上がった本が物理的に海外の出版社や作家エージェントから送られてきてそれを読む、ということも多かったのですが、最近はメールで出版前の企画書(プロポザルと呼ばれます)や出版前の原稿がどんどん送られてきますので、なるだけ早い段階で判断して版権を取得する、という競争になっています。売れ筋の本なら、たいていの場合は海外で本が出る前に日本でも出版が決まっていて、原稿段階から翻訳がすでに進んでいる、と考えていいでしょう。
 
版権を取得してからが(2)本をつくる、の段階です。翻訳者に翻訳を依頼し、翻訳原稿があがったら、原書と突き合わせながら推敲し、疑問点や提案を訳者に戻し、お互いが納得のいく訳文を作り上げます。
 
結局のところ、この作業が一番時間がかかり、一回読むのにこちらの作業として 2 週間から 1 カ月くらいは頂きますが、これは翻訳原稿の長さよりも翻訳の出来に左右されることのほうが多いように思います。このことはフリーランスになってから痛感していまして、分量の多寡は編集料金に織り込み済みですが、訳の出来についてはそうでないことが多いのです。月給のサラリーマンならそれでも我慢して時間掛けてやっていても同じ給料をもらえる訳ですが、フリーだと「時間がかかる=そのぶんの機会損失」なので厄介です。
 
とはいうものの、翻訳書の編集者というのは良くも悪くも稀少なので、ある種の使命感みたいなものもあって、手を抜かずに取り組んでいるつもりです。でも、どうしようもない原稿だと、どこがいけないのかを説明したうえで、一回突き返す、ということも最近は多くなりました。
 
私はここ一年半ほど、光文社の古典新訳文庫の編集にも携わっていますが、ここはとりわけ訳文の出来の要求水準が高く、編集長から「ここは何言ってるかぜんぜんわかんないよ」とか「日本語になってない」と言われることしばしばです。
 
「何言ってるかわかんない」と言われる箇所については、突き詰めて考えると、確かに何言ってるかわからないんですよね。こういうときにありがちな原因は、訳者が作者の言いたいことを理解しきれていない、あるいは、表面的に雰囲気で訳すだけになっている、というケースです。原文を読んでもどうにもわからないときは、当時の歴史背景を調べるとか、同じ作家の他の作品に当たって同様の記述がないか調べるなど、とにかく、わからないものをわからないままにせず一歩踏み込んだ解釈をしてもらいます。これを放置すると、「翻訳は頭に入らない」「読みにくい」と言われることの直接の要因をつくることになります。「超訳」するわけではなく、しっかり考えて作者の意図を汲んで日本語の表現を選びとるわけです。
 
いっぽう「日本語になってない」というケースは、主語・述語の関係が破綻しているといった基本的な間違いもありますが(こうなるときはそもそも訳者が「読めてない」ことも多い)、日本語の正しい「かかり」が無視されていて意味不明な文章になっていることもあります。あんまりいい例が思い浮かびませんが、麻雀は「打つ」ですが、将棋は「指す」ですよね。「鮮烈なデビュー」はいいとしても「新鮮なデビュー」はなんとなく変ですよね。お魚ですか、と(笑)。逆に「新鮮に感じた」はありだけど「鮮烈に感じた」はなにかが変だ、という場合もあります。文脈でわかるところは直せばいいのですが、小さい思い違いが積み重なると、全体として読んでいられなくなってきますし、思わぬ大きな理解のズレにつながることもあります。
 
自分のことを棚に上げていうと、この手のことは読書量に拠るところが大きいように思います。ですから、翻訳者に言いたいのは、とにかく日本語で書かれた本をたくさん読んでください、ということです。とはいえ、私もいま自分のことを棚に上げたくらいですので、日本語が非常に達者な年配の翻訳者の訳文を読むときは、辞書を引き引き、ということもあります。なので、恥ずかしながら、ここに来て明治から昭和にかけての文学などを暇を見つけて意識的に読むようにしています。
 
ちなみに、この手の言葉どうしの相性を知るには、三省堂『てにをは辞典』、研究社『日本語コロケーション辞典』などが便利で愛用しています。あとは大きな国語辞典の用例を覚える。翻訳者はどなたも英語の辞書の引き方には一家言あると思いますが、国語辞典にも同じことが言えるはずです。翻訳者の売り物は英語でなくて、日本語なのです。
 
今後の翻訳者の役割について私見を申し述べたいと思います。出版された本が未来永劫残るのが理想ですが、現実問題として売れない本は市場から淘汰されてしまいます。編集者はもちろん自分の手がけた本には愛情を持っていますが、それでも業務上は新刊のことが優先しますし(平均的には翻訳書の編集者は年間 10冊は作ると思います)、出版社の営業部員もすべての本を平等に販促するわけにはいきません。極端を言えば、利害面から見ると、印税払いの翻訳者だけが、最後まで作品の面倒を見ることができるのです。それにふさわしい立場にいる、とも言えるでしょう。なので、これからの書籍の翻訳者は、自らがメディアとなって自分の訳書や「仕事の幅」を宣伝する必要が出てくると思います。訳書の宣伝だけでなく、自分の興味、他の本への感想など含めて包括的にプレゼンスを高める必要があるでしょう。
 
ゆえに、私個人の意見としては、書籍の仕事は買い切りでなく印税で受けるべきだと思います(アンソロジーや雑誌のような構成のものなど、書籍のつくり方や種類によっては買い切りとなってしまうものももちろんありますが)。これは単純に仕組みの問題で、買い切りではどうしても「どれだけ売れようが売れまいが私には関係ない」という立場に翻訳者を置いてしまいます。編集者の側も、買い切りの原稿の場合、原稿を預かったらそれ以上手間を取らせるのは申し訳ないと思いがちです。
 
しかし、書籍の翻訳は国会図書館にも残る重要な文化事業ですし(儲かんなくていいという意味ではない)、良い本は編集者、翻訳者、校正者などが真剣に意見をぶつけ合って初めてできるものだと思います。というわけで、たとえ初版時の印税が買い切りの提示額より少なくとも、出版者には印税払いを交渉すべきでしょう(とはいえ 4%くらいが最低ラインかと。むろんそれなりのクオリティの翻訳を提出することが前提ですが)。私が間に入る場合には、なるだけそのように出版社に言い、訳者には印税払いになるようにしてもらっています。
 
なんだか野暮な話になってきましたが、私の願いは非常に愚直なところにあって、それは新旧問わず海外のあらゆる書物が翻訳されて日本で読めるようになればいいのにな、ということです(先進国とはそうあるべきと思うのですが)。そして、そのための重要な役割を担う翻訳者のみなさんに、そういう意識で気持ちよく仕事をして頂くための手助けができればと思っています。翻訳者といい仕事ができるといまだにゾクゾクします。決して実入りのいい仕事でもありませんが、それがあるからやめられないのです。
 
さて、「人間翻訳者の仕事部屋」とのことなので、一応仕事の環境についても申し上げておかないといけませんが、私の場合、いまのところ週の半分は光文社にユルっと「通勤」していて(会社辞めた人間の特権として、満員電車には乗りませんが)、ほかの日は他社関連の仕事の打ち合わせで外出しているか、家で原稿を読むかしています。
 
フリーだと土日でも、家で仕事以外のことをしているとなんだかサボってるようで気が咎めるので、とりあえず机に向かう習慣がついてしまいましたが、ずっとそれだとさすがに気が滅入るので、ひそかな抵抗の意味もこめて、だいたいは音楽を聞きながら仕事するようにしています。もともとはロックやメタルなどのジャンルが好きなのですが、頭を振ったり一緒に歌ったりしていてはさすがに仕事にならないので、もっと BGM 的なものを聞こうと思い、ジャズを聞き始めました。しかし、多少なりと興味を持ったことには熱中してしまうのが悪い癖で、演奏者についていろいろ調べながら聞いているうちに、気付くと 3 カ月で 150 枚くらいアルバムを聞いてしまい、しかも今では集中して聞いてしまうので、もはやBGMにならないのが悩みです。それで最近はクラシックを聞いているのですが、これも同じくヤバいことになりつつあります(今は良質なボックスセットがたくさんあってですね......)。まあそれはさておき、本でも音楽でもそうですが、古くてもいまだに愛されているものにはやはりそれだけの理由があって、新しいものは所詮その上にしか成り立たないのだ、ということに気付かされます。

 
 
 
 
部屋が散らかっているのであまり広角で撮れません。
机の上にいるのは神出鬼没なアシスタントです。
 

たとえば足元から出てきて仕事の能率をアップさせるとか……
 

あるいはPCのモニタから手を貸してみるとかします。
 
翻訳書編集などしているくせに、去年初めて海外(NY)に行きました。
颯爽とリムジンから登場してます。日本にいるときと変わりません(嘘)。

 
最近手がけた本。小説からビジュアルメインの本までなんでもやります。


 

コラムオーナー

矢能 千秋
(やのう ちあき)

 
レッドランズ大学社会人類学部卒業。サイマル・アカデミー翻訳者養成コース本科(日英)修了。日本翻訳者協会会員、日本翻訳ジャーナル編集委員。スピーチ、ウェブコンテンツ、印刷物、鉄道分野における日英・英日翻訳に従事。サン・フレアアカデミー主催「オープンスクール」講師。
共訳『世界のミツバチ・ハナバチ百科図鑑』河出書房新社
特集:翻訳の未来を語ろう 
人間翻訳者●矢能 千秋

 

MISSION STATEMENT

フリーランス翻訳者になり16年目に入りました。最初の10年はがむしゃらに走ってきました。10年後、20年後の翻訳者としてのキャリアを模索し、いろいろな方のお話を伺ってきました。向こう10年、20年、30年の翻訳者としてのキャリアプラン、ライフプランを立てる上で、業界で活躍されている翻訳者の方々のお仕事ぶりを拝見したい、と思い、このコラムでは、2000字、翻訳、というお題に対して映し出される「人間翻訳者」の方々の「仕事部屋」を拝見したいと思います。皆さん方の「機械翻訳」に負けない「人間翻訳者」としてのキャリアの一助となれば幸いです。