結局趣味が仕事になった●安達俊一

2013/11/08

安達俊一(あだち しゅんいち)


1962年生まれ、新潟県長岡市出身、中央大学文学部文学科独文学専攻卒、同大学院文学専攻科独文学専攻修士課程修了、文学修士(日独対照言語学)。
院在学中からアルバイトで翻訳エージェントの独語チェッカーを担当しこの業界に興味を持ち、終了後は契約社員や派遣社員として様々な現場で翻訳やテクニカルライティングを経験、1992年よりフリーランスとして独立。現在に至る。
最初はITや電子関係を専門としていたが、最近は自動車を主として、鉄道や航空など輸送機器関連の仕事が中心となっている。
訳書には『Visual Basic 6.0 コンポーネントプログラミング』(日経BPソフトプレス)『日本と世界の自動車最新カタログ2002年版 / 2003年版』(成美堂出版)など。以前では週刊紙『PC WEEK日本語版』(ソフトバンクプレス)、現在は月刊誌『AUTOCAR JAPAN』(朝日新聞出版)など、海外定期刊行物の日本語版の仕事が多い。
東京都小平市在住、JAT会員。JTFは現時点で入会申請中。
Blog: http://adatsun.cocolog-nifty.com/tagebuch/ (長いこと開店休業中、これを機会に再開します)
Twitter: @adatsun
Gmail: adatun01@gmail.com

 

「仕事部屋」というお題を頂いたのにいきなり私事で恐縮ですが、やはり私の今の仕事を理解して頂くためにはある程度自分の具体的な履歴というものを知って頂かねばならないので、少々お付き合いをお願い致します。

私の亡父は高卒で定年まで工作機械メーカーのサラリーマンで現場一筋でした。大学に進学できなかったのは経済的な理由もありましたが、戦争末期で学徒出陣が始まっていたので徴兵に取られないよう工業学校に入ったためもありました。その父からは小学生の時から常々「お前はサラリーマンにはなれないから好きなだけ勉強して好きな人生を選べ」と言われていました。それだけ私は子供の時から協調性のない奔放な性格で親教師を手こずらせていたのです。恥ずかしながら今でもその性格は基本的には変わっていません。

というわけで、大学に入った当時は言語学者になりたいという、今の自分から考えると噴飯ものの身の程知らずな目標を持っていました。中大の文学科に入った理由はドイツ語で入試を受けられたからで、新潟県内の高校でドイツ語を教えているところはありませんからまったくの独学です。独文ですから第1外国語がドイツ語で第2外国語が英語、ドイツ語受験者はドイツ語の初級講座は免除されていたので、単位とは無関係にいろいろな講義を聞いていました。時代はニューアカデミズム真っ盛りで、しかも当時の中大にはソシュールの丸山圭三郎教授(仏文)やハイデガーの木田元教授(哲学)がおりました。単位と関係なくてもこれを聴講しないのはあまりにももったいない、というわけで専攻は別ですがいわゆる「盗講」を繰り返していました。

また、これまた必修単位と関係ないギリシャ語ラテン語、サンスクリットなど古典語の講座に熱中して、結局ひとコマ分だけ単位が足りずに留年したのは我ながら滑稽な思い出です。5年目は学費は払うが生活費の仕送りはしないと親から言い渡され、週1日だけ登校することにしてトラックの運転手のバイトに熱中しました。免許を取るはるか前から自動車雑誌を立ち読みしていたほどのこのクルマ好きが現在の私に大きく関わってくるとは、当時は想像もしていませんでしたが。

しかし大学院に入ると、現実の苦さはすこしずつ判ってきます。ドイツ語やドイツ文学を専攻して晴れて教授となった優秀な先輩の多くが、いわゆる「パンキョーのニガイ」、つまり一般教養で第2外国語としてドイツ語を教えるだけで定年までを過ごす、ただの語学教師に甘んじているという現実に直面して、もともと教師という職業が嫌いだった私は将来の展望を喪失して呆然とした…というか、若輩の誇大妄想でしかなかったはかない夢がもろくも崩れて愕然とした、というのが今に至る私の紆余曲折の出発点でした。この時点で博士課程を出て研究者になる気は完全に失せていたわけです。

でも、そうは言っても大学院の勉強は面白く、特に卒論と修論を担当していただいた恩師の安井啓雄教授(のちに中大杉並高校校長、1995年没)から教わった当時草創期のテクニカル・ターミノロジー理論は、のちに翻訳を仕事にするようになってから大いに役立つことになります。教授はIBMとの共同研究で社内用語の国際的統一事業に参画しており、実際にこの分野の現場で活躍しておられたのです。翻訳と言うものが何で、そこにはどういう問題があるのか、言語学だけでなく工業規格をめぐる工学や、技術者集団の階層方言としてジャーゴンを捉える社会学的視点など、学際的な立場からの画期的な研究が行われていたのを前にして当時の私は興奮していました。

ともあれ、宮仕えが駄目ならば一国一城の主になるしかない。語学を専攻して独立するなら翻訳という商売がある。というわけで今に至っているわけですが、もちろん同業者である読者の皆さんならご存知の通り、この道もそんな甘いものではありません。

最初のきっかけは大学院の先輩から紹介してもらった、とあるエージェントのチェッカーのアルバイトでした。バブル真っ盛りな当時、時給は破格でした。これに味をしめて、修士論文を提出するやJapan Times月曜版の求人広告を見て、適当な外資系に契約社員として入り込んだはいいが、その正体は米国では有名な某カルト系宗教団体だった…などという今だから笑って言える話もあります。本格的に技術翻訳の腕を磨く機会となったのは、派遣社員としてNECの産業オートメーション事業部(当時)でドキュメント一式を担当することになり、郵便機械という機械と電機とソフトウェアとが一体となった巨大なロボットを相手にするようになったのが最初です(NECの郵便機械については同社のサイト「知られざる郵便の世界 http://jpn.nec.com/profile/mitatv/discover/08/index.html」をご参照ください)。ここでは自分専用のDTP用コンピュータを用意してもらったり、UNIXシステムへのアクセス権までいただいたりして、本当にお世話になりました。

またこの頃からパソコン通信が商業ベースで提供されるようになり、特にNifty-Serve(現@nifty)の「翻訳フォーラム」と「外国語フォーラム」で、同業の大先輩やクライアント側のドキュメント責任者、それに言語学を含む様々な専門の学者の方々など多彩な方々と交流ができるようになったのも画期的なことでした。

もっとも、「サラリーマンは務まらない」と親も断言するような人間に、それほどオンサイトの仕事が長続きするわけもありません。この辺はあまり思い出したくはない事ですが、要するに軽く神経を壊して無断欠勤が続き、派遣としては当然ながら使えない奴はすぐに不要となり、フリーとして独立する準備をする暇もなく解雇となったわけです。

一旦帰省し、定年退職した父を車に乗せて共にハローワークへ往復する日々が続く中で、それでも翻訳フォーラムの方々からの紹介で少しずつ仕事を頂くようになりました。私に一番欠けていると自覚しているのは営業力で、いつも縁ある方の紹介でありがたく仕事にありついているという状態は、恥ずかしながら今でも基本的には変わっておりません。

さて、その当時大きな仕事としてこの道の大先輩から紹介されたのが、プロフィールにも書きましたが週刊紙の『PC WEEK日本語版』でした。最新技術をその道のプロ向けにいち早く紹介する新聞ですから、新語にはずいぶんと悩まされました。ただ、読者もプロで基本的に英語のわかる人々と前提すれば、結局そのままカタカナや英略語のままで通用するという方針ではおりました。ここでは大学での担当恩師から教わったターミノロジー論が大いに役立ち、初めて日本に紹介されたどの辞書にもない単語が羅列されていても、特に苦労もなく訳せていたわけです。ようやく「IT部門」という言葉が市民権を得るかという頃に「データウェアハウス」とか「データマイニング」といった最新の概念を文字通り日本に紹介する仕事ができたことは非常に刺激的でした。

しかしPC WEEK日本語版は紙媒体としては休刊となり、ほとんどの収入をこれに頼っていた自分は途方に暮れてしまいます。ところがそこで、妻宛てに(すでにご存じの方もいらっしゃるでしょうが、この連載コラムの前号に寄稿している安達眞弓が私の妻です)彼女の知人から、「ドイツ語で自動車を訳せる人を探しているがなかなか見つからずに困っている」という求人照会が届きました。妻は即座に「うちに居ます」と返事をして(相手は唖然としたそうです)、それをきっかけとしてIT系から自動車系へと主力の仕事が変わり、その後英国の自動車雑誌の日本語版の話も舞い込んで、そのおかげで今に至っております。一時は鉄道関係団体の機関紙の仕事もかなり入っていましたが、こちらは社内向けで安く上げたかったためか、円高進行で客先の要求レートが限界を下回って立ち消えになりました。あとは単発でのドイツ語の仕事は、分野を問わず色々と入ってきます。

ところで、ドイツ語の技術翻訳には英語にはない苦労があります。英語から和訳する時はそのままカタカナにしてよいテクニカルタームやジャーゴンを、ドイツ語の場合には一旦英語に訳してからカタカナにするという二重の手順を踏むことになるのが最大の難関です。そのため独英の自動車用語辞典は欠かせませんが、この業界でもっとも権威のあるKlett社刊のPONSシリーズ自動車技術専門用語辞典『Fachwörtebuchder Kfz-Technik』は、amazon.deで買っても150ユーロ近くする分厚くて高価なものです。ただし、この辞書だとメーカー別に用語の区別が記してあるので、職業としてこの分野に取り組むなら絶対に欠かせないものです。あとボッシュ社が出版している自動車ハンドブックはまったく同内容のものがドイツ語オリジナル版と英訳版と日本語版(シュタールジャパン邦訳)で揃いますから、ロゼッタストーン的存在として必携の資料です。Dudenを始めとしていわゆる普通の辞書はすべてデジタル化しましたが、こういう紙の辞書や資料もまだまだ必要性が薄れたわけではありません。

さらに、今では英米独の自動車雑誌もWebサイトを持っていて、居ながらにして最新記事が読めますし、Leo(www.leo.org)を始めとする欧州の辞書サイトでは既成の媒体でフォローできない新語が続々と登録されていますし、加えて当然ながら自動車メーカーもサイトで大々的に資料を公表していますから、以前に比べれば格段に調査は楽になりました。資料はすべて電子化されて提供されますし納品も一瞬で終わります。手書き原稿に赤鉛筆でチェックを入れていた院生のバイトの時代に比べたら格段に物理的な作業は楽になりました。その分レートが安くなったのは、ある意味仕方がないことかもしれません。

余談ですが、興味深いことに、ドイツの三大自動車メーカーはこれだけ多国籍企業化しても、一次文書はドイツ語という頑固な姿勢を崩すことは絶対にありません。そのおかげでドイツ語の仕事は自動車関連では常に途切れず存在しているわけですが、国際化は社内言語の英語化からと思い込んでいる人の多い日本にとっては、ドイツは技術的水準の高さだけではなく自国言語を国際的に通用する文明語に高めるという国民的自覚の高さの面からも、もう一度大先輩として見直す価値があると思っています。

閑話休題、あと重要なこととして、自動車や鉄道、それに航空機やカメラなどもそうですが、業界向けの純然たる技術的な文書と、趣味としての愛好家向けの文章ではまったく異なる読解力と文章力が要求されることを忘れてはいけません。それは調理師や栄養士が書いたプロ向けの調理書とグルメ向けに書かれた美食エッセイくらいの違いがあると言ってもいいでしょう。後者だとスラングやマニア間だけのジャーゴンが出てきたり、時には変にレトリックに凝るライターもいたりするので、それを相手にするためにはオタク(自動車の世界では「エンスージアスト」略して「エンスー」と呼びますが)的な蘊蓄への精通と文芸と同じレベルの文章読解力が必要とされます。
そして直訳ではまず通じないウィットや皮肉をうまく活かしたまま換骨奪胎してまともに読める日本語にしなければなりません。レトリックの裏にあるファクトが読み取れると、凝った文章の内容が以外と空疎なものだったと判ったりすることもあるので、ここでも注意が必要です。こういう場合には、その趣味に精通していなければ例えネイティブでも理解できないことがあるので、特に警戒したほうがいいかもしれません。

そして何よりも、公刊前に届いてくる原文を「最初の読者」として楽しんで読めるだけのこのジャンルに対する熱狂的な愛着は不可欠でしょう。私は仕事で使うデスクトップPCには昔から自作機を使っていますし、愛車の整備マニュアルも持っていて(ディーラー用の正式なものは一般では入手できないが、英国ではアマチュアの日曜整備用のものが普通に市販されている)、暇つぶしに読むのを楽しみにしています。車検の時に代車が来るとさっそくボンネットを開けてエンジンルームを覗くのも楽しみのひとつです。邱永漢氏はエッセイ集『象牙の箸』で、趣味は趣味のままにしておくべきで趣味を本業にしたら趣味として楽しめなくなるという意味のことを書いておりましたが、しかし、私は今の趣味と仕事が混然一体になった生活を存分に楽しんでいるつもりです。

 
大型旅客機や軍用機も好きですが、警備が厳しくて航空祭でもなければ近くで見ることが
できないのが難点。近所の調布飛行場では、小型機を見通しの良い丘の上から至近距離
で観察できます。時刻表がないので航空無線を受信できるレシーバーは不可欠。



仕事と関係ない趣味も沢山ありますが、中学時代から欠かさず続けているのが
バードウォッチング。本格的な撮影には航空機以上に高価な超望遠レンズが
必要となるところですが、公園の水鳥なら何とか手持ち機材で撮れます。
写真は井の頭公園のカワウ。


 

コラムオーナー

矢能 千秋
(やのう ちあき)

 
レッドランズ大学社会人類学部卒業。サイマル・アカデミー翻訳者養成コース本科(日英)修了。日本翻訳者協会会員、日本翻訳ジャーナル編集委員。スピーチ、ウェブコンテンツ、印刷物、鉄道分野における日英・英日翻訳に従事。サン・フレアアカデミー主催「オープンスクール」講師。
共訳『世界のミツバチ・ハナバチ百科図鑑』河出書房新社
特集:翻訳の未来を語ろう 
人間翻訳者●矢能 千秋

 

MISSION STATEMENT

フリーランス翻訳者になり16年目に入りました。最初の10年はがむしゃらに走ってきました。10年後、20年後の翻訳者としてのキャリアを模索し、いろいろな方のお話を伺ってきました。向こう10年、20年、30年の翻訳者としてのキャリアプラン、ライフプランを立てる上で、業界で活躍されている翻訳者の方々のお仕事ぶりを拝見したい、と思い、このコラムでは、2000字、翻訳、というお題に対して映し出される「人間翻訳者」の方々の「仕事部屋」を拝見したいと思います。皆さん方の「機械翻訳」に負けない「人間翻訳者」としてのキャリアの一助となれば幸いです。