実務から書籍へ、そして翻訳会社●山本 知子

2015/05/08

山本 知子


仏語翻訳家。株式会社リベル代表取締役。早稲田大学政治経済学部卒。東京大学新聞研究所研究課程修了。
大学卒業後、フリーの仏語翻訳者として、特許をはじめあらゆるジャンルの実務翻訳を手がけ、その後、2000年に『罠』(万来舎)で書籍翻訳家としてデビュー。国際情勢やサイエンス系などのノンフィクションから、絵本・児童書・小説といったフィクションまで幅広い訳書をもつ。『ぬりつぶされた真実』(幻冬舎)、『中国の血』(文藝春秋)、『星々の蝶』(NHK出版)、『タラ・ダンカン』シリーズ(メディアファクトリー)など訳書は30点以上。
2003年、さまざまな言語の翻訳者とともに多言語書籍翻訳会社リベルを設立。
これまでに数百点に及ぶ訳稿やレジュメをチェック&リライトし、多くの翻訳者に書籍翻訳デビューのきっかけをつくっている。
office@liber-ltd.com
http://www.liber-ltd.com


 


「実務から書籍へ、そして翻訳会社」
 大学時代に仏語の小さな実務翻訳の会社でアルバイトを始めたのをきっかけに、多言語書籍翻訳会社(株)リベルを経営する現在まで、気がつけば35年以上も「翻訳」の世界に身を置いてきた。我ながらその長さに改めて驚いている。
 仏語を始めたのは高校時代。通っていたカトリック系の女子高では、高校2年・3年で、英語の代わりに仏語を選択できた。迷わず仏語に手を挙げた。フランスという国に憧れていたわけではない。普通の学校では習えないことを習えるのならという思いと、仏語選択者は毎年10人ぐらいという少人数の授業が面白そうに思えたからだ。
 高校の先生たちには「仏語受験は受けられる大学や学科が限られる」とさんざん脅かされたが、実際はそんなことはなかった。国立大学はどこでも受けられるし、私立はどの学部もというわけにはいかないものの、選択肢はたくさんあった。仏語選択といえば仏文科か仏語学科に行くもの……。そういう先入観にも抵抗があり、入学した学部は政治経済学部。この頃は、フランスが大好きというわけでもなく、習慣的に本は読んでいたものの文学少女でもない私が将来、書籍翻訳家になるなど思いもよらなかった。まして、この学部選択がそのきっかけになるなどとは想像もしていなかった。
 
 大学4年になるとき、いくつかの幸運が重なり、パリ郊外の寄宿舎付きの仏語学校に無料で行かせてもらえることになった。結局10か月フランスに滞在し、少しは仏語が喋れるようになって帰国した。帰ってきたら、同級生はみんな就活が終わっていた。私は休学した分、一年遅れで4年生。だが、海外でのカルチャーショックと、その年代特有の「自分は何がしたいんだろう?」症候群のせいか、就職という道をとりたくなくなっていた。かといって、これ以上親のすねはかじれない。となれば、せっかく仏語ができるのだからそれを活かさない手はないだろう。そこで、千駄ヶ谷にある仏語専門の実務翻訳の会社でアルバイトをすることになった。会社勤めを辞めた30代の仏語翻訳者3~4人でやっている会社だった。
 アルバイトの内容は原稿運びと雑務のはずだったのだが、よほど翻訳者が足りなかったのか、数日経たないうちにレターの仏和訳を頼まれた。「なかなかいいじゃない!」と翌々日に渡されたのは、訳し上がり400字で30枚もあろうかという契約書。しかも二日後が納期という。当時はまだ、パソコンはおろかワープロも普及しておらず、原稿用紙に手書きだった。辞書と消しゴムを片手に徹夜でその仕事を仕上げた。今考えると引き受けるほうも無謀だが、まだ学生の私によく依頼してくれたものだと思う。21歳の時だ。
 
 それからほぼ四半世紀、フリーの翻訳者として仏語の実務翻訳を続けた。途中、外資系電業メーカーに就職していた2年間の中断はあるものの、結婚も出産も子育ても翻訳をやめる理由にはならなかった。自宅ででき、納期さえ守ればどう時間を使おうが自由、原稿の出来で評価してもらえ、性別や年齢に対する先入観をもたれない……。育休の制度もまだ確立していない時代。結婚や出産を経ても女性が続けていかれる仕事として、翻訳はとても魅力的だった。
 ひと口に実務翻訳と言っても25年間で引き受けた翻訳のジャンルはほぼ無限だ。英語の翻訳者であれば得意分野をもち、その分野の仕事がコンスタントに来ることも多いだろうが、仏語はそうはいかない。需要も少なければ翻訳者も少ない。かくして、ファッション記事を訳したかと思ったら、今度は核燃料処理マニュアル、次は法令の条文……といった具合に、医療関係以外は何でも訳した。さすがに原稿用紙は姿を消し、ワープロを使っていたが、インターネットの登場はまだまだ先の話。仏日の専門辞書もほとんどない。毎日、図書館に通いながら専門書を速読し、英仏辞書と英日辞書を重ね引きしつつ、知らない分野の専門用語と格闘した。当時、翻訳の参考資料として購入した岩波新書が何冊も、いまだに我家の本棚に並んでいる。
 そして、バブルが崩壊する。なんだか最近翻訳の依頼が少ないなあと思っていたら、周りの通訳者や翻訳者から「転職を考えている」という声が次々と聞こえてきた。どこの企業も経費削減で通訳や翻訳の外注費がどんどん切られているという。そんななか、なぜか特許翻訳の仕事だけは減らなかった。特許には特有の書式と文体が必要である。訳文も関係代名詞も下から訳すといった直訳・逐語訳が好まれる。いや、むしろそう訳さなければいけない。ある翻訳会社には特許部門のチェッカーがいて、納品した訳文を毎回添削してフィードバックしてくれた。そのおかげで特許特有の文体・用語などをマスターすることができた。いったんマスターしてしまえば、特許は他のジャンルの翻訳よりはるかにスピーディーに翻訳ができる。しかも翻訳料も高い。どうやら仏語で特許ができる翻訳者は少なかったようで、その後何年も特許翻訳を切れ目なく依頼され、書籍翻訳を始めてもしばらくは続けていた。それこそ電気だろうが機械だろうが化学だろうが、おそらくトラック何台分かの特許出願書を訳したと思う。
 
 1999年、たまに実務の仕事を依頼されていた翻訳会社から、仏語の書籍翻訳者を探している出版社があるのでコンペに参加しないか、と誘いを受けた。米大統領クリントンのスキャンダルを題材にフランス人の女性歴史学者が米国の民主主義を斬る、というテーマの本だという。政治学科卒という経歴を見て、私に声をかけてくれたらしい。書籍翻訳はまったく初めて。かつて編プロからの依頼でムック本の翻訳をしたことがあったが、支払いがなかなかされず、正直、出版翻訳にはあまりいい印象を持っていなかったので、何が何でも書籍をやりたいとも思っていたわけでもない。翻訳講座のようなところにも一度も通ったこともなかった。でも、その本が面白そうだったことと、「ちょっとでも興味がわいたらやってみないと気がすまない」という性格からコンペに参加することにした。課題のページを訳すのも意外に楽しかった。すると一週間後、版元が5人のなかから私を選んでくれたと連絡が来たのだ。あとから聞いた話だが、決め手は冒頭の一文だったらしい。編集長は「やや粗削りだけど、その一文を見てこの本にぴったりだと思った」そうだ。
 もちろん慣れない書籍翻訳は大変だった。どうにか訳し終わったものの、その後にまだいろいろな仕事があることも知らなかった。漢字かなづかいの表記統一、ゲラの赤の入れ方など右も左もわからない私に、担当編集者はいろいろなことを教えてくれた。訳文の癖を細かく指摘しながらも、私の訳文の個性を誉めてもくださった。そのときの編集者さんの言葉はのちのちまで励みになっただけでなく、現在、私が他の翻訳者の原稿を見るときの指針でもある。仕事をいただいてからほぼ一年後、その本は『罠』という題名で万来舎から刊行された。
 実務と違い、書籍翻訳には多くの時間がかかるが、翻訳印税はさほどいただけない。まさしく労多くして益少なし……。だが、店頭に本が並び、新聞のコラムでその本がとりあげられたときの感動は今も忘れられない。
 しばらくすると二冊目の仕事が舞い込んだ。ソニーマガジンズが『数の寓話』という、数学をベースにしたおとぎ話の版権を買ったという。原書をパラパラとみると、ところどころに数式が並んでいる。この数式に拒絶反応を示す翻訳者が多かったのだろう。だが私は、実務翻訳の原稿の中にたまに数式が出てくるものもあったので、数学本にもあまり抵抗がなかった。「数学をおとぎ話にする」というコンセプトも興味があったので、二つ返事で引き受けた。
 三冊目は、「9.11の真実」というふれこみで、アメリカのテロの2か月後にフランスで刊行され、話題になった本だった。これは、こちらからの持ち込み企画である。緊急出版してくれそうな出版社はどこかと考え、知り合いの伝手をたどって幻冬舎の編集者に会いに行ったのだ。その編集者さんは「面白い!」と言うなり、部屋を飛び出して廊下で社長をつかまえ、その場でOKが出た。『ぬりつぶされた真実』と題されたその本は、刊行直後に著者が来日してテレビ番組で筑紫哲也と対談したこともあり、かなり売れた(大学のサークル仲間がTBSにいたことから、その対談の実現も実は自分でもちこんだ企画だったのだが)。
 その後、実務と並行して年に3~4冊のペースで書籍翻訳を続けることになる。ここでもまた英語ではなく仏語翻訳者であること、文学畑出身でない経歴、そして実務でありとあらゆる分野をかじった経験などが功を奏して、国際情勢やサイエンス系をはじめいろいろなノンフィクションの声がかかった。ある日、ファンタジー小説のシリーズをやってみないかという依頼が来た。それが12年目の現在も続いているタラ・ダンカンシリーズ(メディア・ファクトリー刊)である。もともと、一つのことを深く掘り下げるスペシャリストではなく、浅く広くのジェネラリストタイプの私は、書籍でもまた仏語の「何でも翻訳家」だ。これまで絵本や小説も含め、フィクション・ノンフィクションを問わず30点あまりを訳している。
 
 その頃、9.11以来、日本の出版業界も英語以外の情報や書籍に目を向けるようになった。どこの出版社に行っても、編集者が異口同音に「英語以外の本に興味がある」と言うのだ。そこで、私の周りの多言語の翻訳者たちに声をかけてみた。高校の同級生、大学のサークル仲間、娘が通っていた塾の先生のお嬢さん、そして翻訳を始めてから知り合った人など、集まったのは仏語・英語・イタリア語・スペイン語・中国語・韓国語の翻訳者、計8人。翻訳は孤独な仕事だ。たまには同業者に愚痴を言いたい。また面白い原書を見つけてもひとりでは持ち込む先に限界がある。仲間が集まることで、励まし合い、よりダイナミックな動きができるのではないか……そんな思いはみんないっしょだった。
 そして、2003年9月、多言語翻訳会社リベルを正式に設立した。会社とはいえ、資本金などゼロに等しく、最初の一年半は事務所も代表者である私の自宅の一間だった。その後、知り合いのご好意で虎の門のビルの一角に事務所を構えることができ、現在のオフィスは神宮前である。設立直後に韓流ブームが巻き起こり、当初は韓国語と、私自身が仏語の翻訳者であることから仏語の仕事がとても多かった。そもそも多言語の書籍翻訳会社はめずらしいことから、いろいろな出版社から便利がられ、仕事をいただくようになった。
 だがここ数年は英語が増え、今は英語翻訳の割合が一番多く、現在の弊社スタッフも英語翻訳者がほとんどである。設立以来スタッフ全員が翻訳者であるというスタンスは変わっておらず、スタッフは日々翻訳のコーディネイトや外注翻訳者さんの原稿のチェックやリライトをする。その傍ら、自分の訳書も出しつづけるというのは至難の業。スタッフたちは睡眠を削りながら、本当によく頑張ってくれていると思う。今年に入り、隔週日曜日に翻訳セミナーも開催しているので休日返上も多い。私自身もここ数年は、自らの書籍翻訳を減らし、毎年上下巻で刊行されるファンタジーシリーズ以外の訳書は年間1,2冊程度。リベルの仕事に忙殺されていることもあるが、実力ある翻訳者に書籍翻訳のチャンスをという思いが強い。
 弊社が翻訳を手がけた書籍で昨年刊行されたのは64点。今年はありがたいことに、倍近くの点数になりそうだ。翻訳やリーディングといった形で支えてくれている登録翻訳者さんの数はおよそ300名だが、今回のセミナー受講者の方にもさっそくトライアルやリーディングをお願いし、すでに書籍翻訳を依頼している方もいる。
 
出版業界の不況が言われて久しく、翻訳本一冊一冊の刊行部数はリベル設立当時に比べると大幅に減っている。でも、出版点数はそれほど減っていない。現に弊社に依頼の来る書籍数は年々増えている。最近巷をにぎわしている翻訳本の大ヒット作も希望の兆しといえるだろう。国際社会に生きる日本人にとって海外についての知識が不可欠である以上、翻訳という仕事がなくなることはない。
 実務翻訳者、書籍翻訳者、そして書籍翻訳会社としての経験を語ってきたが、実務翻訳は、仕事の終わりと報酬額と支払い時期がはっきりしている点が長所だと思う。書籍翻訳にはそれがなく、時間はかかるしお金にもならないのだが、作品という形になるという達成感がある。そしてどちらも、翻訳者が男性だろうが女性だろうが、若かろうが年配だろうが、それまでどんな経歴であろうが、そしてまた、性格が外向型だろうが内向型だろうが、質の高い訳稿さえ出せば評価され、次の仕事につながっていく。そしてどちらも、「海外と自国をつなぐ」という、なんとも素敵な仕事であることは間違いない。
 
なお「リベル翻訳セミナー2015 フィクション編」は4月で終了しますが、続けて「ノンフィクション編」の開催を予定しています。詳細をお知りになりたい方は、以下のHPからお問い合わせください:http://www.liber-ltd.com


 
締め切り間際の社内

 

コラムオーナー

矢能 千秋
(やのう ちあき)

 
レッドランズ大学社会人類学部卒業。サイマル・アカデミー翻訳者養成コース本科(日英)修了。日本翻訳者協会会員、日本翻訳ジャーナル編集委員。スピーチ、ウェブコンテンツ、印刷物、鉄道分野における日英・英日翻訳に従事。サン・フレアアカデミー主催「オープンスクール」講師。
共訳『世界のミツバチ・ハナバチ百科図鑑』河出書房新社
特集:翻訳の未来を語ろう 
人間翻訳者●矢能 千秋

 

MISSION STATEMENT

フリーランス翻訳者になり16年目に入りました。最初の10年はがむしゃらに走ってきました。10年後、20年後の翻訳者としてのキャリアを模索し、いろいろな方のお話を伺ってきました。向こう10年、20年、30年の翻訳者としてのキャリアプラン、ライフプランを立てる上で、業界で活躍されている翻訳者の方々のお仕事ぶりを拝見したい、と思い、このコラムでは、2000字、翻訳、というお題に対して映し出される「人間翻訳者」の方々の「仕事部屋」を拝見したいと思います。皆さん方の「機械翻訳」に負けない「人間翻訳者」としてのキャリアの一助となれば幸いです。