武器と言語●河野 弘毅

2015/05/08

武器と言語



 

 

 河野 弘毅

日本翻訳ジャーナル編集委員長



 
私事で恐縮ですが大学時代は工学部の航空学科というところにいました。宮﨑駿監督の映画『風立ちぬ』の舞台になったその学科では四年生の春に先輩の職場を訪問する見学旅行が慣例となっていましたが、見学先の重工メーカーで航空宇宙産業が防衛産業と不可分であるという現実を突きつけられた私は、予想以上に深い衝撃を受けました。工学部とは私の理解を一言でいえば「より優れたモノをより早くより安く作る方法を学ぶ」ところですが、自分の作ったものが何のために使われるのか、その目的を論じる機会はめったにありません。自分にとって兵器開発が人類の一般福祉に貢献するとはどうしても納得できず、かといって自身がその意味や価値を納得できない仕事には取り組めないという自覚もあったので、進路に迷って暗い気持になりました。
 
結局、数年の電気メーカー勤務を経た後に転職して今まで四半世紀を翻訳業界で働いていますが、自分がこれまでの人生で出会った「武器」と「言語」という二つの表象には共通点と相違点があると考えています。両者に共通するのは、それが人と人の間に介在するものであるという点です。武器を行使するとき人は相手を対話の対象ではなく力で対抗すべき敵とみなしています。一方、言語を行使するとき人は相手となんらかのコミュニケーションを図ろうとしています。そのときにもしも相手の母語と自分の母語が異なれば、「翻訳」という手段により言語間の橋渡しを試みます。こう考えると、武器と言語の選択の違いは相手に対する関係性の違いに基づくと言えるでしょう。武器は相手を力で抑えこむための手段であり、言語は相手と対話してなんらかの共通了解に到達することを試みるための手段です。
 
工学という方法では目的を棚上げして技術を発展させていくことができますが、武器の技術を発展させていく先に人類の未来はないというのが私個人の直観です。言語に関する工学的技術は現在、技術革新前夜の趣をみせています。機械翻訳の支援を受けることで翻訳のコストが下がれば、言語による関係構築が今よりも選びやすい選択肢になると私は期待しています。もちろん、言葉が通じれば争いがなくなるなどという簡単な話ではありませんが、言葉による対話を通じた相互理解をもとに構築される人間関係や国家関係をより寛容性の高い相互承認へと前進させていく方向にしか人類の未来はない、というのが私の意見です。翻訳の未来が失われるときとはすなわち言語による相互理解の努力が放棄されるときであり、それは最悪の場合には武器による相互破壊の誘惑に人類が負けるときです。歴史の均衡が破滅に傾くのを少しでも防ぐために、翻訳の未来をつくる営みに微力ながら加勢していきたいと願っています。