三宅理恵のMultiLingual紹介vol.5

2016/01/15

三宅理恵のMultiLingual紹介 vol. 5

 

 翻訳センター 三宅理恵



皆様こんにちは。
2016年最初の号となりました。今年も、JTFジャーナルおよびMultiLingual紹介コラムをよろしくお願い致します。
今回は、2015年9月号の特集”Medical”(医療)の中から、コミュニティ通訳についての記事を取り上げてご紹介したいと思います。
 
翻訳から少々離れた内容になりますが、コミュニティ通訳は、これからの日本でも必要とされる、重要な領域だと思います。日本に居住する外国の方が増えていく中で、必要とされる領域です。
 
筆者は記事の中で、様々な通訳関係者による言葉を紹介しています。
それが、この記事の素晴らしさであるとともに、自らの経験や、他の同じような仕事をしている人々の考えを知りながら記事を書くことが大切であるという、MultiLingualの様々な記事をこれまで読みながら学んだことともぴたりと一致しています。
「小人は身長が小さいため視界が非常に限定されているが、巨人の肩に乗れば広い視野を得ることができる」と大学時代に指導教官が何度も言っていたことも思い出しました。
筆者のコミュニティ通訳者としての経験や知見もさることながら、このような他の人々の知恵を学びそれに基づいて自分の思考を構築していく姿勢そのものが、学ぶべきものです。
 
筆者は、コミュニティ通訳のトレーニングやマネージメントを長年務め、コミュニティ通訳の位置づけについてどうすべきかを考えている方です。コミュニティ通訳者の役割の保護のために闘い、それを勝ち取ってきました。
 
コミュニティ通訳は、これからの日本にとっても課題だと考えることから注目に値します。これまで以上に、日本には外国の方が居住することも増えるでしょう。
コミュニティ通訳についてはISOでも話し合いがなされていると聞いていましたが、コミュニティ通訳において日本の先輩ともいえる事例として、このカナダのコミュニティ通訳についての記事を取り上げることにしました。光栄なことに、コミュニティ通訳についてのISO規格の日本の委員でいらっしゃる方からコメントをいただくことができましたので、この場をお借りして、日本のコミュニティ通訳の実態についても紹介させていただきます。皆様、ぜひ最後までお読みいただけましたら幸いです。

 
 

Titles, community interpreting and health care setting
コミュニティ通訳とヘルスケアの場面(肩書きについて)
Angela Sasso
 
 コミュニティ通訳は、公共サービス通訳(public service interpreting)としても知られ、その肩書きが示すものは主として次のふたつ:
(1)コミュニティ通訳を、コミュニティレベルで行われる翻訳すべてを包含するものととらえる。セクタは無関係(健康、法律、および公共サービス)。
(2)肩書きを分割して考える。コミュニティ通訳と医療通訳は異なるものを示すとみなされる。
⇒地域によりこれらの異なるアプローチがとられる。
 
 コミュニティ通訳という存在(profile)が顕著になり、コミュニティ通訳の規格(standards)、認証(certification)、およびトレーニングについての対話が進むにつれ、その区分がより重要な意味を持つようになった。
 コミュニティ通訳者は、健康および公共サービス(health and public services)の提供において重要なサービスを提供する。コミュニティ通訳者は、厳格な行動規範と、専門家としての水準および倫理に従い、通訳のコアコンピテンシーについて訓練されている。英語を話せないクライアントと、英語を話すサービスプロバイダは、コミュニティ通訳を含まずに友人や組織されたボランティア(organizational volunteer)に頼りがち。これらの人々は言語サービスを提供することはできないし、するべきではない。
 保護され適切にトレーニングされたコミュニティ通訳者は、信用があり公平で精確なサービスにより可能となる、アクセスのみならず質のよいアクセス(quality access)を保証する。
 
 コミュニティ通訳者自身が、移民および難民であることが多いという事実も見落とせない。
 
筆者が経験したカナダにおけるコミュニティ通訳サービスの発展
 
・1980年代後半から1990年代前半まで…ブリティッシュコロンビアにおける発展段階
 バイリンガルのボランティアから訓練を受けた言語の通訳者(trained language interpreter)への移行について見てみると、多言語で多文化の人々(クライアント)の言語および文化に対応するにあたり障壁を感じ始めていたことが背景にある。
 サービスプロバイダは、その大変さを、クライアントが公用語を話せないせいにする傾向があり、そして多様な素地をもつクライアントを迎えるための計画が貧弱でリソースが不十分であることが原因と考えない傾向があった。そのような傾向が、クライアントが自分自身で「通訳者」を伴うべきであるという見方をされた原因かもしれない。
 適切に訓練され保護された通訳者を使用するために、筆者と仲間たちは公共サービス全体にわたって何年もかけて弁護を行ってきたが、ようやくブリティッシュコロンビアで変化の兆しがみえたのは1980年代後半。
 当時、ヘルスケアシステムにおいて独自に課題が認識されていた。ヘルスケアの場面での通訳者の役割や地位に関する取り組みの動きを見ていく中で、コミュニティ通訳についての問題意識を持ち始めた。
 筆者は次のことに気が付いた:「ヘルスケアの領域における通訳は、他のコミュニティベースの環境(settings)とどのように違うのだろうか?」と。コミュニティ通訳者にとって、我々がもっとサイロ(silo)を作り、一日で、健康、教育、刑務所等(corrections)、および社会的仕事の環境(setting)で実務家が流暢に動くような、言語産業のセグメントに対して、より大きなコストと複雑な手順を作り出すのはフェアだろうか?コミュニティ通訳者の肩書を構築しようとする現在の努力は、産業の現実を本当に反映するものか?
 筆者たちは、コミュニティ通訳者の言語のつなぎ目(language conduit)としての役割を、明確な定義と役割のコンピテンシーとともに保護する大きな闘いで勝利した。
 
 
カナダにおけるコミュニティ通訳の位置づけについての考察
 
 Roda Roberts, 2002, ‘Community Interpreting: a profession in search of its identity’(コミュニティ通訳:そのアイデンティティを求める専門職):
通訳における3つの副分類(subdivisions)を定義:会議通訳、法廷通訳、およびコミュニティベースの通訳。
 
 カナダにおけるコミュニティ通訳は、歴史的には、より確立した会議通訳および法廷通訳のサブカテゴリという背景で成り立ったものである。カナダにおいて1980年代前半に顕著になりはじめて以降、筆者達は重要な産業の一員としての地位を獲得するために努力した。公共サービスの多様なセクタにおいて、通訳サービスがサービス(とりわけヘルスケアと法的なサービス)の提供に重要であると強調されていたものの、コミュニティ通訳全体についてはほぼそのようなことはなかった。
 しかし、我々のコミュニティ通訳者の役割についての概念も(主に肩書きの示す内容を表現することを通じて)次第に表れはじめた。
 コミュニティ通訳者は、公共サービスを通じて働き、したがって、様々な場面(settings)において仕事をする準備をするための能力を有していなければならない。コミュニティの場面(setting)における通訳とは、通訳者が、異なる用語のコンテキストのみならず、異なるサービスのコンテキストの間を移動することを意味する。
 カナダにおいて、筆者らは、コミュニティレベルでなされるすべての通訳活動に対してゼネラリストとしてのアプローチをとってきた。
 結果として、コミュニティ通訳の傘は、セクタ(健康サービス、法的サービスおよび公共サービス)とは無関係にすべての通訳活動を包含することを意味した。ここでいう司法(legal)とは、法廷の内外における通訳活動を両方含む、より広い定義を想定している。
 カナダにおける法廷通訳は、権利と自由のカナダ憲章のもとで、法的な保護を享受している。具体的には、14条の規定に表れている:「あらゆる手続において、手続きが行われる言語を理解したり話したりできない、あるいは耳の不自由な利害関係人または証人は、通訳者の援助を受ける権利を有する(仮訳)」(A party or witness in any proceedings who does not understand or speak the language in which the proceedings are conducted or who is deaf has the right to the assistance of an interpreter.)
 カナダにおける司法通訳(legal interpretation)には、信用のプロセス(accreditation process)が存在するものの、司法通訳は、依然として、時折コミュニティ通訳の一部としてみなされることがある。この法廷とコミュニティの間の連携は、頻繁に行われる。法廷で仕事をする実務家の多くが、コミュニティレベルでもすべてのセクタにわたって仕事をしている。さらに、カナダにおける法廷通訳は、コミュニティ通訳の他のセクタが直面しているのと同じ多くの問題に取り組み続けている:行動規範(professional conduct)、プロとしてのコンピテンシー、そしてプロとしての認識(professional recognition)の問題。法廷とコミュニティの間の連携は、法廷通訳の進歩や、セクタ特有の課題や、法廷通訳の現実を極小化するものではなく、リソースをアラインし統一戦線(united front)を呈している。そしてこれは、法廷通訳と同じくらいコミュニティ通訳に恩恵を与えるものである。
 
 
カナダにおけるコミュニティ通訳の定義およびその必要性の上昇
 
 カナダで最もよく採用されているコミュニティ通訳の定義:“Bidirectional interpreting that takes place in the course of communication among speakers of different languages. The context is the provision of public services such as healthcare or community services and in settings such as government agencies, community centres, legal settings, educational institutions, and social services.”(仮訳:異なる言語間の話者の間のコミュニケーションの中間で行われる双方向の通訳。コンテキストは、政府機関、コミュニティセンター、司法的分野、教育機関、および社会サービスといった場面で行われるヘルスケアやコミュニティサービスといった公共サービスの提供である。)
 この定義は、2014年11月に発行されたISO 13611:2014 Interpreting – Guidelines for Community Interpretingに反映されている。
 1980年代にコミュニティ通訳がより顕著になったことは、カナダの移民が直面した大きな変化と偶然にも一致している。
→その背景:20世紀の前半は、主としてヨーロッパからの移民が大々的に移動してきたのに対して、20世紀の後半は、アジア、アフリカ、カリブ海、および中南米から殺到する移民に変化。
 カナダはこれらの従来とは違う出身国からの新しい住民を迎えたので、彼ら/彼女らを支援するサービスに従事している労働者は、これらの人々の言語で公共サービス、健康サービス、および法的サービスにアクセスできるようにする必要性が増していることに気が付いた。当時、これに対する対応は、家族や友人の助けといったアドホックなものであった。
・Uldis Ozolins, July 2010: ”the need to respond to linguistic diversity, especially through immigration or asylum seeking, is rarely planned for by host societies”(とりわけ、移民や難民申請をしている人々による言語の多様性に対応する必要性は、ホストとなる社会でほとんど計画されていない)
 このアドホックな対応は、「援助(help)」を与える援助機関(aid organizations)によって維持されている。言葉のサポートを通じたサービスへのアクセスは、バイリンガルな個人によってなされる仕事だった(その語学スキルのレベルにかかわらず)。
 
 カナダで移民が数多く定住した地域において、
―20世紀の初頭は、主として宗教組織と特定の民族グループ(ethnospecific group)を介したコミュニティベースの対応、そこから派生して新しくやってきた人々へのサポートが提供されている。
―20世紀の年数が進むにつれ、セクタは、移民と難民のための非営利のサービスの実施を通じてより調整された取組みを進めるようになった。
                ↓
主としてこれらの非営利組織を通じて、コミュニティ通訳は最初の一歩を踏み出した。当初、移民定住のための働き手の仕事の一部としてリストアップされていた。通訳サービスは、起ち上げ時には、ボランティアベースの二言語または多言語のサービスとして行われていた。
                ↓
 次第に、通訳者の役割が、これまでのやり方では間に合わないくらい複雑で動的であることが分かってきた。
 
 
カナダで増える移民への対応の一部としてのはじまりに起因する広範な業務内容と組織主導による特性
 
・移民への対応から派生
 当初、コミュニティ分野での通訳は移民の定住のための仕事の一種とみなされていたことから、弁護(advocacy)、そして文化的適応の手助け(cultural facilitation)への責任も、コミュニティ通訳には伴われる。この点を除外してコミュニティ通訳を言語のファシリテーター(language facilitator)として定義づけることは問題を生じるかもしれない。
・コミュニティ通訳の増加は、決定的に組織が主導
 組織のニーズが第一で、専門とする人々(profession)による要望は二次的なものであった。
⇒このような起源が、コミュニティ通訳が分野内で高い地位を見出すことができなかった原因の中核をなす。
⇒組織主導(institution-led)という歴史的文脈はまた、コミュニティ通訳が文化的なナビゲーター(cultural navigator)から弁護(advocacy)や言語のファシリテーターに至るまで多くの役割を与えられてきた主な理由。組織は当初、バイリンガルのボランティアを見、そして次に有償の通訳者に目を向けた。そして通訳者が、「新しい」顧客、文化の多様性、およびコミュニケーションの異なるスタイル、そして彼らが直面している契約等(engagement)を理解する手助けをしてきた。
 
 
コミュニティ通訳者の肩書(title)の分類
 
・イタリア、トリエステ大学の通訳学の博士課程の学生 Paola Gentile:
 肩書きの変化は、「欧州連合(かつてはヨーロッパ共同体として知られていた)で働く会議通訳者との混同を防ぐため」に起こった。(”to avoid confusion with the conference interpreters who work at the European Union – previously known as the European Community”)
 
 コミュニティ通訳者は、コミュニティの分野(community settings)でセクタをまたいで仕事をするプロとして一般的に認識されている。
・European Network for Public Service Interpreting and Translation (ENPSIT)代表 Pascal Rillof:
「医療通訳は、コミュニティ通訳または公共サービス通訳のひとつの種類です。そのうえ、医療通訳者が実際にすることは、その他の関連分野(ソーシャルサービス、福祉機関、雇用機関、刑務所、法廷、学校等)で通訳者がすることと根本的な違いはないのです。」(”medical interpreting is one kind of community or public service interpreting. Moreover, what the medical interpreter actually does is not fundamentally different from what an interpreter does in other related fields: social service, welfare organizations, employment agencies, prisons, court of law, schools and so on.”)
 
 ブリティッシュコロンビアのProvincial Health Services Authority department(仮訳:地域健康サービス局の部署)のProvisional Language Service(地域言語サービス)のディレクター Kiran Malli:
「なぜ、コミュニティ通訳の場合にはランゲージスペシャリストの概念が変わると考える人がいるのかよく分からない」(“I am not sure why anyone would think that the notion of language specialist changes at the community interpreter designation”.)
「すでに細分化されている産業にサイロを作っているような気がする。通訳は通訳であり、通訳である。コンテキストは変化するが、スキルは依然として同じものである。」
(“We seem to be creating silos in an already fragmented industry. Interpreting is interpreting is interpreting. The context changes but the skills remain the same.”)
 
 筆者は、こうした言説を引用しながら、コミュニティ通訳者を区別したがっているのはなぜか疑問に思うと述べている。
 
 筆者の主張として、コミュニティ通訳の扱う内容を限定し、通訳の入り口を細分化することは雇用の妨げになり、また通訳者の提供できるサービス内容が限定されるとしている。
 
★コミュニティ通訳についての筆者の全体的な主張
 通訳者の専門家としての責務は、コアコンピテンシー、獲得したスキル、および職業に基づく技術を用いてきたるべき課題に備えることであり、さらに、続けて専門技術を高めることを模索することである。 コミュニティ通訳の現実としては、十分な準備をする時間が与えられない。 さらに、コミュニティ通訳者は、同じ日に複数の別のセクタで仕事をすることもしばしばである。
 肩書きを細分化しても、これらの現実は相殺されない。 これらの現実を理解し、トレーニング、認証、および試験の構造へとこれらを組み入れるほうが、おそらくよりよいアプローチである。 そのうえ、記事の前半で述べたように、コミュニティ通訳者は、自身が移民や難民であることが多い(これはカナダのケースだが、ほとんどの地域でこれはあてはまると筆者は予測)。 雇用についてのさらなる障壁を構築することは必要なのか。
 
Critical Link International副会長 Elizabeth Abraham:
「ふたつのカテゴリを作ることは、候補者に2つの試験を求めることになり、雇用の妨げになる。」(”The creation of two categories requires the candidates to take two exams, which in itself creates a barrier to employment”)
「試験の費用が高いので、ほとんどの通訳者はひとつを選択する。このことが意味するのは、彼らがサービスを提供することのできる場面(settings)が限定されるということである」(”Given the high cost of the exams, most interpreters will choose one, which means they are limited in the settings in which they can provide services.”)
 
Pascal Rillof:
「コミュニティ通訳は、産業のみならず通訳者に対してもサービスをする必要がある。すなわち、日々の積み重ねで、コミュニティ通訳者はセクタを横断して仕事をしており、また、才能ともいえる円滑さをもってそれをしなければならないという認識を作ることである。」(”Community interpreting must do a service to the interpreter as well as the industry – by acknowledging that on a day-to-day basis community interpreters work across sectors and must do so with a talented fluidity.”)
 
コミュニティ通訳について肩書の区分を明確にすることは、settings(分野、場面)の間の明確な区分を作る試みともいえるかもしれない。現実では、それは、実務家を排除すること、またはすでに細分化されている産業においてコンプライアンス違反になる危険が生じる、という結果に実際になることが考えられる。コミュニティ通訳におけるさらなる分割は、通訳者が、2つ以上の認証プロセスと試験を受けることになり、大きなコストと不必要な障壁を作り、この産業を盛り上げる才能をもった人々(the very talents that keep this industry thriving)を害することになるのである。
 
*************
 
感想および補足
 
コミュニティ通訳は、オリンピックという訪日観光客の増加をみすえた音声翻訳の開発等と比較しますと、より長いスパンで、徐々に増えていく居住者の方々のために必要なサービスになります。
本記事がテーマとしているコミュニティ通訳は、日本の社会にとって今後なくてはならない役割になることが予測されることから、選ばせていただきました。
 
筆者が通訳をなさっている方だからか、ひとつひとつの文が簡潔で、音読してもいいくらい明快です。前回取り上げたライターの方の味わいと趣のある文体とはまた違うよさを感じます。筆者の原文を読むと会話の練習にも役立つのではないかと思ってしまうほどです。平素から通訳者として分かり易く話そうと心がけていることの表れでしょうか。
多言語・多文化社会の先輩であるカナダでのコミュニティ通訳の派生の背景、その立場や扱い等が描かれている記事は、日本に住んでいる人たちにとっても(たとえ通訳が仕事の人ではなくても)学びになると感じます。
 
筆者がコミュニティ通訳者の役割を保護するために闘って、それを勝ち取ったというエネルギーと成果は素晴らしいものです。併せて、どのような職業にも、かつてその扱う内容や地位を守るために闘った人がいるのかもしれないと思わされました。自分の職業の地位が確立されたものなら、それは過去に誰かが頑張ったおかげであり、逆に、困難な地位なら、自らが今後頑張っていくべきだということなのかもしれません。日々の仕事をこなすというのとは全く違う、職業の地位について高い視点で取り組んでいる筆者の文章は非常に貴重なものです。
 
最後に書かれていることは警鐘であり、とても恐ろしい感じがします。障壁となること、害すること。彼女が訴えたいのは、もちろん、コミュニティ通訳というものの特殊性を認め、無理やり細分化しないでほしいということです。
彼女の闘いが、この最後の文章に集約されています。
 
通訳者の方々のお話を伺うほどに、通訳という仕事は、ただ英語ができるだけではできない、非常に高度なものだという認識を新たにします。さらに、コミュニティ通訳がいかに才能を必要とする分野であるかということは、その扱っている内容をみれば容易に想像できます。同じ日に、隣接する別の分野で通訳の仕事をするとは、どれだけ柔軟性や臨機応変さが必要なことでしょうか。通訳業務そのものにもいえることですが、コミュニティ通訳は、サービスを受ける人々が一般市民であることも多く、知的レベルや社会・文化・慣習に対する理解度その他の差が大きいこと、そして時として切迫した状況や不安に直面している方が多く、ビジネスの環境での通訳以上の精神的なケアや相手への理解力・親和力が必要とされると考えられることから、特に高度なものではないでしょうか。
コミュニティ通訳にチャレンジしようとする才能ある人々が、細分化された一分野しか応募できないということがあれば、それはもちろん損失でしょう。
 
当初、カナダでは、移民の受け入れ時にその定住のサービスの一環として始まったことから、ボランティアベースでした。
筆者はカナダで、コミュニティ通訳のプロとしての地位を確立すべく努力してきました。
(繰り返すようですが)様々な隣接するセクタを横断して仕事ができるコミュニティ通訳者の方々は、筆者も書いていたとおり才能を持つ方々でしょう。この方々の才能が十分に発揮されなければ、必要なサポートを受けられずに困る人たちがきっと出てきます。
 
コミュニティ通訳についてのISOの規格に関しては、日本にも委員会があります。その委員である金城学院大学の水野真木子先生のご講演を以前伺ったことを思い出し、本記事の作成にあたりぜひ日本の現状についてご教示いただきたいと思い、コンタクトさせていただきました。幸いにも希望が叶い、水野先生より個人的にコメントをいただくことができました。お忙しい中、私のような素人に親切に説明してくださる労をいとわない水野先生は、まさに生活の様々な場面で困っている人々を幅広く支援するコミュニティ通訳者の鑑のような方だと思います。
 以下、水野先生のコメントです:
 
コミュニティ通訳 コメント
水野真木子
 
1) コミュニティ通訳に司法や医療が含まれるかどうかは、国によって、または人によって違います。地域社会に暮らす人を対象とするということを、コミュニティ通訳のもっとも重要な特徴と考えると、どちらの分野もコミュニティ通訳に含まれると考えることもできます。
また、司法や医療は人の命や生活がかかわる高度な専門分野なので、独立した分野として他のコミュニティ通訳と分けて考える人もいます。しかし、その考えを取ると、司法と医療以外は、それほど通訳の能力やスキルを必要としない、いわゆるボランティア通訳と変わらないものとして位置づける方向に向かいかねないので、私はこれには少々懸念を感じています。どの現場であろうと、通訳は通訳であって、最低限のスキルを持った人のみが行うべきだと思います。それには、公的資金を投入して、通訳の質を保証するために、認定やトレーニングのシステムを確立すべきです。それが実現するためには、司法通訳と医療通訳を牽引車として、コミュニティでの通訳全般が、スキルを持ったプロフェッショナルによって行われるべきであるという認識を高めていく必要があります。
 
2) ISOのコミュニティ通訳の規格に関してですが、司法通訳分野は、コミュニティ通訳と重なる部分とそうでない部分があると考えられています。形式化され、規制の多い現場で行われる「法廷通訳」は、コミュニティ通訳とは呼べないかもしれません。司法については、何がコミュニティ通訳に入るのか、その国の状況に応じて決めるしかありません。
 
3) 日本のコミュニティ通訳の現状は、カナダを含めた西欧諸国の一昔前の状況です。近年、地方自治体やNPOによるボランティア通訳システムの立ち上げの動きが盛んです。やっとボランティア通訳の充実に目が向けられ始めたということです。(このようなシステムが対象とするのは、多くの場合、司法、医療を除いた行政や教育の分野です。中には、医療が含まれるケースもあります。)しかし、通訳者への報酬は非常に低く抑えられており、プロ化はほとんど視野に入っていません。トレーニングセミナーを開催している自治体も多いようですが、年に1,2回から数回程度なので、とても十分とは言えません。そういう状況ですから、通訳が専門職であるという意識も浸透していません。そのため、通訳以外の様々な仕事も行うことが通訳者に期待されてしまう現場もあり、独立した専門職への道は遠そうです。
 
 記事の完成を目指していた時期に、異文化コミュニケーションについて考えさせられる映画を観ました。「ボーダーレス ぼくの船の国境線」というイラン映画です。苦境のさなかで必死に生きる子どもたちと大人が登場し、大変心が痛む内容でしたが、観た後で水野先生のコメントをいただいたり、この映画について調べたりするうちに認識が変わっていきました。何より、この映画は、監督にとっては「希望」を描いたものだということです。背景や起こる出来事の悲しさのみならず、描かれているのは、たしかに、言葉も文化も異なる子どもたちと大人がお互いを理解し同じスペースを共有する、まさに異文化の人たちが織りなすコミュニティでした。お互いを受け入れるまでの相克は激しいものがありましたが、主人公は言葉の通じない人々を次第に受け入れていきます。最も注目すべきだと思ったのは、主人公が相手の様子をじっと観察する姿勢です。相手が今どのような状態にあるのか、本当に自分に危害を加えないか、じっと観察したうえで壁を取り去り、次第に相手に関心を持って受け入れていく姿、そしてその後は(相変わらず言葉は通じないものの)相手に対して思いやりをもって接する姿はとても美しいものでした。そして何より、主人公の態度の変化を受けて、周囲もがらりと態度を変え、お互いを思いやり合う雰囲気が醸成されていきます。
 様々な言語と文化の人々が集まるコミュニティにおいて、その意志疎通やサービスの享受のための手助けをするコミュニティ通訳者の存在がいかに不可欠であるかを感じるとともに、その役割の難しさを痛感しました。さらに、コミュニティ通訳者に全てを委ねるのではなく、生活している一人ひとりの、たとえ言葉が通じなくてもコミュニケーションをとろうとする心構えと姿勢があれば、お互いにとって住みやすいコミュニティが出来上がると思われます。コミュニティ通訳者が介在している瞬間だけではなく、異なる言語と文化を持つ人々がいつも安心して生活できるようになるには、住民の心構えが不可欠であるということを実感するきっかけとなりました。
 
話は戻りますが、コミュニティ通訳の進んだカナダでは筆者のような人が頑張っているということを心にとめておくとともに、日本の現状についてもご一緒に学びたいと思い、水野先生にコメントをお願い致しました。
 
訪日観光客向けの自動翻訳のサービスなども(音声翻訳も含め)どんどん進化しているようです。NICTによる多言語音声翻訳システム”VoiceTra”、NTTドコモによる”はなして翻訳”、PIJIN提供のQR Translatorなどがあげられます。しかし一方で、医療や法廷、様々な健康や公共についてのサービスに対応するためには、サービスを必要としている人に信頼され、安心して言いたいことを自分の言葉で言ってもらいそれを訳すような存在、すなわち人間の通訳者が必要で、(最初にも書きましたが)日本に住む外国の方が増えていく状況では、才能あるより多くの人がコミュニティ通訳に携われるような工夫をすることがとても重要だと思います。
筆者のAngelaさんは、彼女が生活しコミュニティ通訳にかかわっているカナダ独自の環境の中で、このテーマをつきつめて必死で闘っています。彼女の必死さの伝わってくる記事を読むと、日本にいる私たちは、日本で今後同じテーマにどのように取り組んだらよいかを考えなければいけないという気持ちにさせられます。
 
記事の理解で終わることなく、水野真木子先生からいただいた日本の現状についてのコメントも何回も読み、心に留めるとともに、映画等から得られる様々なヒントも大切にしながら、異なる言語と文化を持つ人々が共存するコミュニティのあり方について考え続けたいものです。

MultiLingualは、言語について多面的にとらえることができる様々な特集記事を提供しています。記事を全部読んでみたい方、試読の方法はこちらでご案内しております。試読期間は長く、またバックナンバーも読めます: