あなたがつくる医学翻訳の未来: Prescription for Survival続編

2019/01/18

10/26 Track3 15:00-16:30

パネリスト:

平井 由里子 Hirai Yuriko

株式会社MCL 代表取締役
医薬専門の翻訳会社として平成14年に設立。「翻訳を通じて医学薬学の発展に一滴の貢献を」という創業以来のポリシーのもと、製薬関連案件に加え、医学書籍などの大型翻訳プロジェクトを多数手掛ける。

安藤 惣吉 Ando Sokichi

株式会社ウィズウィグ 代表取締役
JTF理事
科学的に正確な翻訳と当局に通用する申請・報告資料の制作支援業務を柱に、安全性情報支援業務、医学薬学・ライフサイエンスのデータベース制作支援業務のサービスを提供している。最近、キータームにkを追加し、サービスを「See」から「Seek」へと変更。


モデレーター:

石岡 映子 Ishioka Eiko

株式会社アスカコーポレーション 代表取締役
JTF理事
医薬専門の翻訳会社として大阪に本社を置き、論文・開発関連の翻訳を中心に手掛ける。米国科学振興協会Scienceの日本代理店も務める。
 
報告者:礒西 和子(フリーランス翻訳者)
 



 本セッションは2012年の第22回翻訳祭で同じメンバーにより行われたパネルディスカッションの続編である。前回は海外翻訳会社の進出、品質要求の厳格化、CATツールの導入などが話題に上った。今回の冒頭、石岡氏は医薬翻訳業界における問題点として、製薬企業1社当たりの売上げ減少、製薬企業による機械翻訳エンジン導入とその訳出結果のポストエディット処理依頼、アストラゼネカと国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)による自動翻訳システムの共同開発やMSDとNICTの提携の発表を紹介したほか、クライアントからの無理難題の依頼事例にも触れた。我々が医薬翻訳に明るい未来を作っていくにはどうすればよいかをこの場で考えていこうとセッションは進行した。

安藤氏 — 製薬業界の再編及びウィズウィグ社の対応

 このような厳しい状況になった背景を示すために、2010年からの製薬業界の歴史、開発医薬品の変遷及びグローバル化の流れを表にした。ただし、我々の仕事は実際のところ「5つの目」(翻訳業界の目、製薬業界の目、医学界の目、国の目、受託機関業界の目)で見ていかなければならない。

 製薬業界が大型新薬の特許切れという2010年問題を克服していない中、毎年のように薬価が改正され、2025年には超高齢化社会が到来する。10兆円と言われた市場は2025年には8兆円になると予測されている。開発医薬品も低分子薬から抗体医薬品などの高分子薬へと移行しており、今まで目が向けられなかったアンメットメディカルニーズに対応する医薬品も増えている。また、最近ではさらに医薬品開発は大きな変化を見せようとしている。高分子薬の高い開発費用と高額な薬価の回避が期待できる中分子薬の登場である。医療の考え方も治療から予防へと変化し、診断方法も変わるとみられる。さらに医薬品開発のグローバル化の動きもあった。中国の中国国家食品薬品監督管理総局(CFDA)がICHに参加し、中国企業・団体がIFPMAへの加盟を果たした今日、製薬業界もより大きく変わりつつある(中国の国際製薬開発動向変化により、一部発言内容を講演後に変更)。

 このような結果、製薬企業は大幅な社内経費削減を図り、メディカルライティングや安全性業務をアウトソーシングするようになってきた。弊社はこれに対応して、メディカルライティング支援業務を行い、また安全性情報部門を設けて、データベース入力、クエリーの作成、オンサイト処理まで安全性業務を総合的に行えるようにしている。開発される医薬品品目の変化への対策として、関連知識の社内教育の充実、人材強化を図っている。監査のグローバル化に対しては、英語での業務監査を重視し、SOPの見直しや休日対応を含め海外企業とのやりとりを念頭に置いたサービスを構築している。

 最後にGCPについて触れる。1989年公布、翌年施行の旧GCP下でソリブジンの問題が生じ、データの品質のあり方が問われるようになり、新GCPが1997年公布、翌年施行されることとなった。これを機に大量のデータが発生し、製薬企業はCROにアウトソーシングするようになった。グローバルな規制に適うには品質が大事だと言われている。

平井氏 — 品質の重要性及び機械翻訳

 MCL社創業時に翻訳顧問の医師が考案した品質確保のための「医薬翻訳十箇条」を紹介する。

  1. 訳文が冗長でないか見直すこと。正しく訳されていれば、必ず訳文は原文より短くなる。長い場合は、訳者の何らかの解釈が入っていることを疑う。
  2. 翻訳は必ずword for wordで、どの単語も見落とさずに正確に訳すこと。
  3. 歯切れのよい、明確な日本語で仕上げること。
  4. 意訳は誤訳であることに留意すること。高度で専門的な医薬翻訳では、各用語に非常に深い意味がある。
  5. 翻訳された日本語を別の人が再度もとの英語に直した場合、もとの英文に戻るぐらいに意味を正確に訳すこと。
  6. 訳語選択の際には、それでなくてはならない訳語を選択すること。
  7. 時制を正確に訳すこと。
  8. 態(受動態・能動態)は忠実に訳すこと。おかしいと判断される場合は、その態の訳出を最小限にとどめる。
  9. 関係代名詞の制限用法、非制限用法をはっきり訳し分けること。
  10. 構文・品詞をしっかり把握すること。


 製薬企業に機械翻訳(MT)が導入されるなど、医薬翻訳の分野にもMTが入ってきており、昨今の流れから言って避けては通れないことは間違いない。クライアント、翻訳会社、翻訳者、MTが協働して、品質を確保していくことが必要になってくる。求められるドキュメントの品質を決める要素は、翻訳されたドキュメントが最終的にどのように使われるかである。申請資料では、MTが作成した訳文に対して、クライアントが求める品質になるよう翻訳者が穴埋めをしていくことが必要になる。
 
 今年度の翻訳祭は、京都ラーメン発祥の地で行われていることもあり、ラーメンを例に挙げて、MTを説明してみる。MTはとりあえずラーメンを作ることはできる。しかし、クライアントが食べたいのはどのようなラーメンなのか、豚骨スープのラーメンなのか、あるいはカツオ出汁のラーメンなのかを人間が知って、求められているものに変えていく必要がある。そのためにはスープの種類、麺のゆで加減、焼き豚やメンマは入れるかどうかなど、ラーメンのことを熟知していないとできない。要するに、人間が仕上げを行うには、対象物の内容を熟知していないとできない。MTでは、これまでと性質の違う仕事が求められている。

ディスカッション

 指名によって参加者の意見が求められた。発言順に以下に示す。各意見に対して、石岡氏がコメントを述べた。

  • 参加者1:味噌ラーメンを作りたいが、醤油ラーメンになっていれば、味噌ラーメンにするのは難しいと思う。
  • 参加者2:医療機器メーカーでMTを使用しているが、性能が高いと感じている。
  • 参加者3:MTはツールであり、翻訳者を助けてくれる忠実な部下や執事であると思えば、医薬翻訳の未来は明るいと思う。
  • 参加者4:ITは苦手なので、MTは使う予定がない。今後も縁がないと思う。
  • 参加者5:テクノロジーが進歩するのは既定のことであるので、医薬翻訳は必ず変わると思うが、我々の未来がどうなるのかはわからない。
  • 参加者6:製薬会社にとって1日も早く困っている患者さんに届けることが至上命令であり、早く仕上げて欲しいと急かす発注側の担当者も苦しい立場にいると思う。
  • 参加者7:MT翻訳の質が悪いと、MT翻訳の方が時間がかかってしまい、経済的に損失を被る。
  • 参加者8:医薬翻訳にもっと多方面の人材を求めてはどうか。
  • 参加者9:ポストエディットを行うことで翻訳のスキルが低下しないか心配である。
  • 参加者10:Cloud AutoML translationというサービスでは、Google翻訳に自社のメディカルデータを追加学習させることで、自社NMTエンジンをカスタマイズできるということであるが、どうなのか。
  • 参加者11:ポストエディットの場合の料金体系はどうなるのか。

石岡氏のコメントのまとめ

 ルールベースのMTと比べてニューラルMTは精度が高くて読みやすいが、全く使えないこともあるし、カスタマイズも難しい。数字や医薬品名を間違えるし、使えそうで使えない。余計なお世話をしてくれる。だから、翻訳者が仕上げるポストエディットが必要になってくるが、翻訳ができない人にポストエディットはできない。書いている内容が理解できるレベルの高い翻訳者ならMTのこの訳文は使えないと一瞬で判断できるので、その場合は翻訳者の手で翻訳すればよいと考えていて、この方向性で進めたいと思っている。MTは単価を下げるための材料だと思って欲しくない。効率向上のためであり、能力がある人は、もっと仕事ができるようになる。エラーが減るかもしれない。チェックが不要になるかもしれない。ライティングに使える可能性も考えられる。現在弊社はMTをまだ少ししか使っていないが、クライアントからの使用要請の圧力がとても大きい。
 最後に、昨日の交流パーティーで乾杯の挨拶を賜った長尾真先生が文化勲章を受章されるというニュースが今朝入ってきた。先生は機械翻訳のパイオニアでいらっしゃる。この朗報は、MTが社会に認知されたということである。MTが特別ではなくなるかもしれない。