特許翻訳者のリーサルウェポン ~人間翻訳vs機械翻訳~

2019/01/18

10/26 Track2 15:00-16:30

松田 浩一 Matsuda Koichi

英日翻訳工房代表
横須賀市在住の特許翻訳者。VTR、TV、高周波デバイス、通信システムなど、四半世紀にわたりSONYのエンジニアとして研究開発畑を渡り歩き、2004年春に早期退職して手探りで翻訳の道を歩み始める。後に生涯の師となる大先輩の厳しいオンザジョブトレーニングに耐え、2005年秋にフリーランス特許翻訳者として独立して今日に至る。担当技術分野は、電子/電気、通信/ネットワーク、機械装置の要素技術やハードウェア、システム。特許翻訳者としての仕事を軸足に置き、2008年からは翻訳学校講師として特許翻訳講座を担当するかたわら、翻訳コミュニティや勉強会も精力的に主宰。ニックネームはMatt(マット)。


報告者:佐藤 従子(フリーランス翻訳者)

 



 このセッションでは、翻訳現場の激変が予想される中、具体的な翻訳例をひとつずつ比較しながら現在の機械翻訳の実力と課題を検証するとともに、人間にしかできない「強み」と人間翻訳者が生き残るための道を検証し、意見交換を行った。タイトルを見て「翻訳者よ、武器を持って立ち上がれ!黒船を打ち払え!」というつもりで聞きに来られた人には少し的外れだったかもしれないが(笑)、重要な問題提起もあり、有意義な講演となった。

プロローグ

 世界株式時価総額ランキング、平成元年では上位のほとんどを日本企業が占めていたが、平成30年ではトヨタが35位に入っているのみ。ここ20年で技術には大きな変革があった。ネットにつながるスマホやケータイが現れ、デジタルカメラが普及して銀塩フィルムが半導体メモリに駆逐され、ブラウン管が液晶パネルに取って代わられた。今後20年も大きな変革があると予想される中、翻訳環境はどう変わるのか。特許翻訳者もこれまでの延長線上で生き残れるとは思えないが、なんとしてでも生き延びなくてはいけない。

発明側が特許翻訳に求めるもの

 エンジニア(発明者、権利者)、発明側企業(権利者、ソースクライアント)にとって、血と汗の結晶である発明は競争力と利益の源泉だと思っている。27年間エンジニアとして従事した経験から、ここ1、2年機械翻訳を含めた特許翻訳のあり方に疑問を感じている。基本的なスタンスとしては、機械翻訳技術の進歩は否定せず、改善点を見出し、具体的に協業できる道を模索したい。

人間翻訳vs機械翻訳

 人間翻訳が「している」こと、機械翻訳が「していない」ことを挙げ、例題を通して人間翻訳と機械翻訳を比較して問題点を検証した。機械翻訳の間違いを指摘する意図ではなく、問題提起として取り上げた。

例1:人間は「図面」を見る。
therein, thereof, therethrough等が何を指すのか、どう処理するか。具体的に置き換えて訳すか、あえて訳さない方がよいかを判断して訳す。

例2:人間は「意味」を考える。
at least 5 times smaller than 字面通り「少なくとも5倍小さい」と訳して意味が通じるだろうか。「せいぜい5分の1である」と自然な訳にする。

例3:人間は「技術」が分かる。
Communication between computer systems usually involves a commanding system sending a command to a commanded system.「通信は~送信するコマンドシステムを含む」ではなく「通信には~コマンド送信側システムが~にコマンドを送ることが必要である」と訳す。動名詞と現在分詞を理解し技術的に自然な訳にする。

例4:人間は「人に優しい」。
文字だけではわかりにくく図面を見てようやく理解できるような文を、読み手にわかりやすく訳す。

例5:人間は情報を「補う」。
the angles of the incident and reflected X-rays from the semiconductor wafer. incidentのonが省略されているが「半導体ウエハへの入射X線、およびそこからの反射X線」と訳す。端折った表現から想像し、補ってわかりやすい訳文にする。

例6:人間は「訳し分ける」。
operationをどう訳すか。動作、作動、操作、作用、運転、演算、手術、作戦、働き、等。文脈で判断して訳し分ける。

例7:人間は「係り受け」を考える。
最近は係り受けがわかりにくい原文も多い。技術を理解しないと係り受けを間違えてしまうことがある。

例8:人間は「常識」で考える。
in response to the sensor detecting a drop event, 「落下現象を検出するセンサに応答して」よりも「センサが落下現象を検出することに応答して」が自然な訳。常識で判断する。

例9:人間は「森」を見る。
Referring to Figure 1,「図1を参照して (~を説明する)」と訳す場合や「図1を参照すると、…(~が~されている)」と訳す場合がある。主節の主語と従属節の主語の関係を理解して訳す。

例10:人間は「ミスを赦す」。
コロケーションの誤り。Small intensities may result in larger sampling times. Small intensitiesは本来「低い強度」だが字面に引きずられ「小さな強度」と訳してしまう。larger sampling timesのlargerは「長くなる」が自然。

人間翻訳者が生き残る道は?

 若い人が20年、30年、40年後に翻訳者としてやっていこうと思えるだろうか。ここ数年、非英語圏で作成された原文が機械翻訳にかけられてわかりにくい英文になっているケースがある。近未来はさらにこの傾向が強まるのではないかと危惧している。1.0だった原文が0.9、0.8、と劣化し、わかりにくい文章がビッグデータに蓄積され訳文が劣化しているのではないか。機械翻訳のポストエディットには、少なくとも中堅以上で技術にも言葉にも精通した翻訳者でなければ従事できないだろう。初心者は誤字脱字しか手を出せないし、ベテランからは自分で書いた方がましだという声もある。膨大な対訳ベースの過信は危険だし、翻訳都市伝説にもなっている「膨大な対訳データベースを特許翻訳の学習データベースとして使う」は落とし穴。ただ、英辞郎やWeblio等、他の辞書にないヒントに助けられることが多いように、こうしたデータベースもしっかり裏取りして使えば役立つだろう。
 松田氏も今後ポストエディットにも関わる機会があるという。
 翻訳者の生き残り作戦として挙げられたのは(1)論理的思考力を鍛えること(自己ブレスト&議論する「場」)、(2)技術を深く理解すること(MTにマネできないレベルに)、(3)技術を広く理解すること(技術は大きく変化/融合する)、(4)文章力を磨くこと(理解できる論理的な文章を書く能力)。当たり前のことを当たり前にやる、特に自作辞書(用語集)を作り続けることの重要性を強調された。エクセルでこれまで約2万6千語の用語集を作成しているという。

余の辞書に不可能の文字はない

 辞書環境が危ないと感じている。EPWING版は「ビジネス技術実用英語大辞典(海野さんの辞書)」や「LSD(ライフサイエンス辞書)」等は健在だが、他の多くは絶滅危惧種となり、LogoVistaの辞書は暗号化が強化されブラウザも使いづらい。何か解決策が見つかるようJTFも組織を挙げてがんばって欲しい。自作辞書では名詞(専門用語)を中心に登録し、接続詞、前置詞、一般動詞などは工夫して登録することが必要と述べた。自身のPC上の辞書環境も紹介された。

知的財産が絶滅危惧種に?

 人間翻訳と機械翻訳の棲み分けをどうするか。私(人間)にできること、そして機械にできないこととして挙げたのは(1)これまで通りの基本を押えた人間翻訳(2)ビッグデータ(学習データベース)改良に貢献すること(3)翻訳作業を通して良質なデータベースを構築し、次世代に伝えること(4)文系脳(技術が苦手)と理系脳(文章が苦手)の架け橋になること。

エピローグ

 元エンジニアとして、発明の翻訳がいい加減になって欲しくないと思う。翻訳者の顔を明るくして欲しい。未来に夢を描く若い翻訳者が、競って集まるようになって欲しい。最後に「一語一会」という言葉でFacebookフォーラムのつながりを紹介して締めくくった。

質疑応答

Q1(機械翻訳開発者):ビックデータの過信は良くないし、質は非常に重要だと思う。データの質向上に協力して頂けるのは大変ありがたい。ポストエディットを経験し、その新しい形を示せれば未来が変わってくるのでは?
A:当初はこの場で刺し違えようと思っていたが(笑)、互いに協業できそうな道筋が見えてきた。ともにがんばりましょう。
Q2(翻訳会社):自社でCATツールを開発してコーパスを構築している。翻訳者にとってコーパスに必要な機能、不必要な機能があれば聞きたい。
A:具体的な機能について即答はできないが、機会があれば実物を拝見したい。
Q3(翻訳会社経営者):共感できる点が多くあった。安易にポストエディットに手を出すのは大変だと思う。機械翻訳に興味を持つ企業は多いと思うが、特に初心者は危険ではないか。翻訳会社が注意すべき点があれば聞いてみたい。
A: これから試験的にポストエディットにも絡んでいこうとしている段階なので、具体的にこうして欲しいと言う点はまだ挙げられない。今後も機会があれば話を続けてみたいと思う。

質疑応答も活発で関心の高さが感じられた。翻訳者としてスキルアップしつつ変化する翻訳環境とどのように向き合うか、考えるよい機会となった。